おへんろ
はじめの一歩


地域概念図

はじめに

生まれてきた赤ん坊は自分の身1つ、それが生きるにつれ、年を重ねるにつれ、いろいろと必要なものから不必要なものまで自分の身辺にくっついてくる。そして死に当たっては親族・遺品・花・思い出に包まれて…。
ここらで立ち止まって、万物に平等で飾りのない自然そして宇宙に自分の身を放り込むのはどうだろう?動植物と同じように自然の営みに身を任せられる簡素、質素な世界がそこにある。
遍路旅は1人がいい。この先、より良く生きるために遍路に出よう。
遍路という途方もなく深遠で、とらえどころのない概念に向き合い、終わりのない自問自答を繰り返す混沌の中をさまよいながらも再び遍路の旅に出てしまう自分がいる。そして人が精神的な「高み」を求める神聖な旅には終わりがない。人生は遍路なり。

本書は、四国遍路を志す方々のために、株式会社武揚堂松下直行さんの協力を得て総合的・客観的に情報を集約しました。
歩き遍路を対象としていますが、それ以外の自動車遍路などでも情報としては包含されているので、自分に必要な情報のみを参考にしてください。
また「18.沿道に伝わる遍路関係の伝説・言い伝え」の章では、遍路旅にて見たり聞いたりする事柄にどのような意味や歴史的背景があるのかを知ることで、四国遍路をより深く理解でき、遍路旅をより意義深いものにしていただけることを目的として編集しましたが、松下直行さんの理解や解釈の相違などにより内容に過不足のある場合があることをご理解ください。

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目次

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1.遍路とは

四国遍路(「お四国」ともいう)とは、弘法大師(空海)[774-835]が修行したと信じられている四国に点在する八十八ヶ所の霊場をループ状に巡る壮大な寺院巡礼のことをいいます。全行程1142kmの道のりを札所に、沿道の自然に、風土に、人々に、文化に、石の仏に、そういう宝物に囲まれて「悟り」の境地に近づこうとする行為ではないかと思います。
さらに現代では、その目的は宗教的な修行のみならず、病気平癒、近親者の供養、家内安全などのほか、心の充実や癒しを求めて、リフレッシュや健康増進、山登りやハイキングの延長、観光旅行の一環など、人により実に様々で、現代人のいやしの旅として見直されています。
もともとは「聖なる修行の旅」なので土地の人々も温かく、かつ、厳しく迎えてくれます。かといってあまり堅苦しく考えずにとりあえず始め、巡るうちに信仰心が生まれ、自分自身を見つめ直す機会を得ることにより、新たな自分を再発見することもある可能性のある旅です。
また、その門戸は広く、その人の国籍、性別、年齢、社会的地位、服装、等々を問わず誰でも受け入れてくれます。
歩いていると様々なことが自分の脳裏をよぎります。たとえば自分の過去の行いが正しかったかどうか、道中で見たり聞いたりしたことを思い返して自問自答を繰り返すこともあります。このような機会を与えてくれる非日常的な空間が四国遍路です。
それではなぜ四国なのでしょうか?
遍路旅では、目的地に到達することよりも、大切なことはその道中にあります。あなたは、自分の行動に精神的な充実感を得ることができます。また遍路旅では、様々な局面に遭遇します。険しい山道・単調な舗装路・雨・道迷い、これらの1つ1つが忘れることのできない記憶となり、あなたのその後の人生に影響を与えるかもしれません。これらは、他のトレイルでも体験できるでしょう。しかし四国には、その旅の途中には、通過儀礼のようにスピリチュアルな札所があります。四国遍路は豊かな自然・風土の輝きといった明るい側面と、一方、哀しくはかない人生に正面から向き合うという落ち着いた側面の両方を兼ね備えているのです。
各札所では、納経を行い、その証として納経帳に朱印をいただきますが、朱印を集めるのみならず、旅を通して数え切れない有意義な経験を積み重ねる意味において、スタンプラリーとは異なります。自分の体だけでなく心までもリフレッシュしてくれるのが遍路です。
その1142kmの道のりを4つのステージ(道場:修行の場)に分けてあるのも上手な演出です。

88map.pdf

時計回りに
徳島県(阿波) 発心の道場=思い立ち、行動を起こすこと
高知県(土佐) 修行の道場=精神性を高めるトレーニング
愛媛県(伊予) 菩提の道場=煩悩を断ち切り、極楽浄土へと向かう
香川県(讃岐) 涅槃の道場=煩悩にうち勝つ超越した解脱の境地

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2.遍路の時期

気温・降水量・日照時間・降雨日数(月別)

"

遍路旅には、気温や天候を考慮すると春の3月中旬から5月、秋の10月から11月が適しています。

冬至(12月下旬) 日の出7:00am / 日の入5:00pm
夏至(6月下旬) 日の出5:00am / 日の入7:20pm

瀬戸内海側は、日本で最も降水量の少ない地域ですがその反面、太平洋側は、最も多い地域の一つです。ただし両地域の降水日数に大差はありません。ということは、瀬戸内側は、しとしと雨で太平洋側はザーっと降ります。
気温は、瀬戸内海側、太平洋側とも大差ありません。季節に応じた準備を考えましょう。
3月下旬から4月上旬は桜の季節で、その後、4月下旬から5月上旬は、新緑が楽しめます。さらに11月下旬は、いくつかの紅葉で有名な札所もあります。
夏遍路へのアドバイスとしては、比較的涼しい早朝と夕方に活動し、正午前後の時間帯(10時から4時頃)は、日陰で休むことを考慮すべきです。山道に半日程度入る前には、2L程度の水を用意すべきです。
冬遍路へのアドバイスとしては、日中の活動時間帯は必要以上に厚着しなくても歩けるでしょうが、日が隠れると一気に体感温度が下がります。また雨に濡れると低体温症になるので雨天の防水対策は入念にすべきです。
このような気象条件の中で過ごしやすい時期には、遍路の数も一気に増えます。特に土日や祭日、そして遍路ツアーのバスが札所に着いた時などは、納経所で順番待ちになることがあります。そのような場合は、お参り前に先に納経していただくとか、反対に待ち時間を活用して札所の細部を見学するとかで対応します。修行の旅なので自己中心的に腹を立ててはいけません。

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3.所要日数とデータ

遍路旅にかかる所要日数は、個人差があるので一概には言えませんが、右の縦断図は、測量士の私が入念に距離と高さを図上計測し、1日のスタートとゴールである宿の所在地と、さらに札所での納経時間(30分)を考慮しながら平均的な体力の人を想定して時速3.5㎞(山間部の未舗装路は2.0㎞程度)で立案した典型的な遍路プランなので参考にしてください。遍路のルートは複数ありますが、最も基本的なルートで作図しました。なお、距離の定義は、水平距離であって勾配は考慮していないことを付け加えておきます。
活動時間は7:00am – 5:00pmで昼食や休憩を含む
縦断図参照
総延長(1番から1番まで)= 1,141.7km, (1番から88番まで)=1,096.5km

獲得標高

高さに関する情報は、国土地理院基盤地図情報数値標高モデル5mおよび10mメッシュをもとにPC-Mappingにより算出。

区間上り (m)下り (m)区間上り (m)下り (m)
1-2 11 -13 46-47 18 -15
2-3 22 -28 47-48 2 -51
3-4 115 -55 48-49 16 -8
4-5 11 -68 49-50 39 -25
5-6 27 -24 50-51 31 -46
6-7 26 -3 51-52 122 -103
7-8 92 -24 52-53 7 -74
8-9 0 -79 53-54 293 -274
9-10 137 -9 54-55 49 -68
10-11 72 -193 55-56 15 0
11-12 1,369 -700 56-57 33 -9
12-13 569 -1,251 57-58 254 -43
13-14 41 -34 58-59 31 -266
14-15 3 -21 59-60 886 -153
15-16 2 -7 61-61 255 -984
16-17 1 -3 61-62 7 -14
17-18 111 -43 62-63 8 -7
18-19 52 -125 63-64 43 -29
19-20 574 -76 64-65 765 -444
20-21 485 -477 65-66 1,045 -484
21-22 260 -723 66-67 112 -954
22-23 267 -286 67-68 38 -91
23-24 702 -562 68-69 0 0
24-25 62 -212 69-70 22 -28
25-26 169 -23 70-71 256 -48
26-27 672 -401 71-72 66 -242
27-28 256 -615 72-73 52 -1
28-29 30 -89 73-74 9 -82
29-30 80 -81 74-75 11 -4
30-31 157 -49 75-76 6 -16
31-32 135 -171 76-77 2 -17
32-33 25 -107 77-78 39 -23
33-34 35 -31 78-79 36 -35
34-35 154 -29 79-80 56 -43
35-36 306 -396 80-81 433 -184
36-37 1,322 -1,152 81-82 312 -238
37-38 1,322 -1,535 82-83 119 -440
38-39 830 -790 83-84 299 -50
39-40 963 -985 84-85 236 -299
40-41 1,362 -1,202 85-86 53 -274
41-42 68 -55 86-87 62 -27
42-43 457 -374 87-88 770 -359
43-44 1,688 -1,394 88-1 879 -1,305
44-45 640 -632      
45-46 907 -1,394 total 24,376 -24,376

別格20霊場を加えたデータ

別格20霊場は、1966年に組織されたものであり、伝統的な遍路道は存在しないので、一般的なルートを遍路道として採用し計測したデータ

別格20霊場を経由して歩いた場合の距離=594.3km
別格20霊場を経由しないで歩いた場合の距離=432.2km
差し引き増加距離=162.1km
別格を含めた総合計距離: 1141.7km+162.1km=1303.8km

別格札所標高(本堂)
1. 大山寺:
448.6m
2. 童学寺:
40.9m
3. 慈眼寺:
559.9m
4. 鯖大師:
11.5m
5. 大善寺:
26.1m
6. 龍光院:
22.8m
7. 出石寺:
810.0m
8. 十夜ヶ橋:
10.6m
9. 文殊院:
60.5m
10. 興隆寺:
262.9m
11.生木地蔵:
26.1m
12. 延命寺:
35.1m
13. 仙龍寺:
278.0m
14. 椿堂:
104.2m
15. 箸蔵寺:
549.0m
16. 萩原寺:
80.0m
17. 神野寺:
156.2m
18. 海岸寺:
2.5m
19. 香西寺:
9.9m
20. 大瀧寺:
910.0m

注)八十八ヶ所霊場は縦断図に記載

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4.巡拝方法

全周にこだわらず、自分の旅行計画の中で四国に滞在できる期間を勘案し、1部分を巡るだけでも十分に遍路文化を体験することができます。
全周は、お金と時間に余裕のある人にしかできないものなので、社会的に自分のおかれた状況と相談して実現可能なプランを立てるべきです。安心してください、遍路はなくなりません。再び遍路を体験できるチャンスがあるかも知れません。そして、再び遍路に出たくなることを「四国病」と呼びます。

順打ち

四国を時計回りに札所の番号通りに順番に回る方法のことを言います。私は四国の地理に不案内な方には強く順打ちを勧めます。順打ちは、案内板が随所に整備されているので、初心者でも最も基本的なルートであれば案内用の地図がなくても歩くことができるかもしれない。 遍路が札所にお参りすることを「打つ」といいます。これはかつて木や金属製の納札を札所の建物に釘などで打ち付けたことに由来しますが、建物を痛めるので現在は禁止されています。
現在は、1番から順番に回る人が多いですが、交通機関の発達していなかった時代は、徳島県ならば鳴門へ船で渡り1番から、もしくは17番から16-15-14-13-11-12-18番、そして後は、番号通りに88番まで1周回った後、10番から1番とか、愛媛県ならば高浜(松山)へ船で渡り、52番から周り最後が51番とか、香川県ならば、丸亀へ船で渡り78番から回り始める、などもっと自由度の高い回り方をしていました。
その場合は、4つの道場という考え方は成り立ちません。ということは、4つの道場という考え方は、新しく後づけされたものであることがわかります。

逆打ち

番号と反対まわりの反時計回りに巡拝することを言います。逆打ちでは、ほとんどの順打ち用案内板を見落とすことになるので、頻繁にロストすることを覚悟しなければなりません。なお、前述の通り逆打ちは難しいので、順打ちと比較して3倍のご利益がある、などと一般的には言われています。また、今も修行を続けているとされる弘法大師が順打ちなので、逆打ちは、弘法大師に会える(ご利益を得られる)機会が増えるともいわれます。いずれにしてもこれらの解釈は、案内板が整備されだした1980年以降であると推測できます。高群逸江(1918年、彼女24歳の遍路行を[娘巡礼記]に著す)の時代には順打ち・逆打ちとも同様に目されていました。

通し打ち

八十八ヶ所を1回でまとめて巡拝することと言います。

区切り打ち

1度に全ての札所を回らずに、たとえば週末のみに数カ所ごとに分けて何回も巡拝することを言います。もしくは、最終的に全周ではなく自分が設定した区間のみを巡ること。この場合、起点・終点への移動は、公共交通機関を使うことになります。
なお71-78は歴史的な裏づけもある「7ヶ所まいり」と称する1日で完結するコースがあり、独自の納経帳などもあります。

結願

四国八十八ヶ所すべてに巡拝することを結願と言います。札所の順番に関係なく88番目が「結願の寺」となります。また、別の考え方で88の寺を全て回ったあと出発した寺もしくは最寄りの札所に戻り、サークルを完成させることを結願とする考え方もあります。いずれにしても、結願のあと集大成として、高野山で弘法大師にその報告をすることが一般的になっています。ただし、高野詣も第二次世界大戦以前の各種記述(澄禅1653を除く)では確認できません。

お礼参り

前述の結願に関連して、88の札所を回り終えて出発した札所、もしくは最寄りの札所に戻り結願できたお礼としてお参りすることを言います。

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5.遍路の手段

巡拝の方法は人により実に様々です。歩き遍路が基本であることに間違いはありませんが、足が不自由で歩けない人など人それぞれさまざまな事情があり、それでも遍路をしたい切実な理由があったりするので、一概に歩き遍路以外を卑下できないのも事実です。しかしながら、移動手段がより便利な乗り物になるにつれ観光や物見遊山の傾向が強くなるのも事実です。

歩き遍路

伝統や修行を重視したスタイルですが、最も費用、日数、そして毎日歩き続ける体力と持久力を要します。入念に装備を考え、自分の体力を客観的に把握し体調管理に十分な配慮をする必要があります。予定通り進まなくても臨機応変にスケジュールを変更する精神的・時間的な余裕を持つことも大切です。
総距離はメディアによって、1,400kmとか1,200kmなどと異なった数字を見ますが、本書と[Shikoku Japan 88Route Guide]に掲載している数字が最も正確であることを宣言できます。
一般的に平野部では1日あたり30㎞の歩行を目安とする遍路が一番多いです。 体や足にトラブルを感じたら、様子を見ることなくすぐにケアすることが大切です(風邪薬の服用やアイシング・ストレッチ・テーピング・サポーターなど)。
自然条件や道に迷うなどの不確定要素も多く、計画通りに行くとは限らないので、アクシデントを受け入れ休息日を設けることや、場合によっては中止する決断に直面することもあります。
一日中歩くなかで、午前中は体がフレッシュなため順調に距離を稼げるが往々にして午後は疲労の蓄積によりペースが落ちるので、早めに短時間の休息をこまめにとると大きなペースダウンを防げます。
なお、歩き続けることができるように、事前に本番と似た条件で入念なトレーニングを勧めます。
歩き遍路に便利な情報を掲載したポケットサイズの「歩き遍路地図」です。
最後まで残った空海の道 一番 霊山寺~十番 切幡寺(表)
最後まで残った空海の道 一番 霊山寺~十番 切幡寺(裏)
最後まで残った空海の道 八番 熊谷寺~十二番 焼山寺(表)
最後まで残った空海の道 八番 熊谷寺~十二番 焼山寺(裏)
最後まで残った空海の道 十二番 焼山寺~十七番 井戸寺(表)
最後まで残った空海の道 十二番 焼山寺~十七番 井戸寺(裏)
最後まで残った空海の道 十七番 井戸寺~二十三番 薬王寺(表)
最後まで残った空海の道 十七番 井戸寺~二十三番 薬王寺(裏)

自転車遍路

山道では未舗装区間があるので、歩き遍路と同じコースをトレースできません。別途、Shikoku Japan 88 Route Guide のIndex Map や四国ツーリズム創造機構発行の遍路パンフレットなどで自転車の通行可能な道を記していますので捜してください。Shikoku Japan 88 Route Guideではネズミ色の1条道路は未舗装路です。
なお、別格も含めて45番を除くすべての札所で本堂付近までアプローチできますが、自転車では困難な急坂の上に立地するいくつかの札所があります。その場合は、麓の宿や商店に自転車を預けることも検討してください。ただ、預かりをお願いすることになるので何か感謝の気持ちを示すことが理想です。お金を渡すことは相手に対して失礼とも受け止められかねないので、高価でなくても良いので、あなたらしい小さな記念品や納札などを渡せれば理想的です(自転車遍路だけに限りません)。
自転車を預けられない場合は、麓の適当なスペースに駐輪、施錠して荷物は自分で持たなければなりません。
なお、輪行について鉄道は可能、バスは路線バス・高速バスともに不可であり、輪行する場合は、自転車の前後輪を分解し、車体をすっぽり覆う袋に入れなければなりません。自転車で通し打ちすると所要日数は、約20日間です。

公共交通機関

電車とバスを使えばほとんどの札所は近くまでアプローチできます。Shikoku Japan 88 Route Guideには特に効果的な時刻表を掲載していますが、現地の宿や観光案内所などで聞けば、詳しい地域的な情報を得ることができます。
札所間の長い区間は、自分の体力を勘案して電車やバスを利用することも考えましょう。
四国内の4県都は、高速バスでも結ばれており、バスターミナルは鉄道駅に隣接しています。
また、室戸方面や四万十・足摺・愛南地域など鉄道のない地域は路線バスが発達しており、さらに都市間高速バスで都市部へエスケープできるので宿などで聞いてみてください。

ツアーバス遍路

旅行会社が日程や食事、宿泊など旅程の全てを設定してくれています。通し打ち、区切り打ちなど、いろんなプランがあります。先達が同行し、詳しく説明してくれるので、効率的に遍路に関する知識が深まり、歩き遍路より、お経が上達します。
全周プランで費用は¥210000-¥250000、所要日数は9-12日。

例) http://www.tokubus-kanko.co.jp/tour/ohenro.php?type=0&limit=0
http://travel.iyotetsu.co.jp/tour/tourList.php?s_list_4
https://www.anabukitravel.jp/hanahenro/

自動車遍路

自家用車やレンタカーを利用します。足の不自由な人には有効です。季節を選ばず実行でき、大きな荷物でも大丈夫です。また、札所付近に宿がなくても、短時間で宿の多い都市部まで移動でき、プラン立案の自由度が高いです。
所要日数は約10日です。

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6.費用

歩き遍路の必要経費(概算)

宿泊費
善根宿(食事なし) 0-4000円
民宿(2食つき) 5500-7500円
旅館(2食つき) 5500-20000円
ビジネスホテル(食事なし) 3000-8000円
ホテル(食事なし) 6500-40000円
宿坊(2食つき) 6000-8500円

札所

賽銭(本堂と大師堂):費用は任意(10-100円/寺)
納経帳:300円
白衣朱印:200円
納経掛軸:500円

総費用

歩き遍路で通し打ちすると経費約40万円(1日あたり1万円以内)。
同じく自転車の場合は、20万円。そして自動車の場合は、150000-(レンタカー代は別に必要で、その料金は車種によるが70000-130000円)。

  1. 経費は個人差があり、宿泊費と食事代などの必要経費のみで土産等は除きます。
  2. 四国までのアプローチに要する費用は除きます。
  3. 衣類や靴などの装備品は別に40,000-50,000円ほど必要です。

ATM

通し打ちでは、1ヶ月以上の旅程になりますが、持ち歩く現金は、防犯や紛失したりするリスクを軽減するために少なくするべきです。そのため必要経費は途中で補充します。
郵便局のATMは沿道に多くあるので大変有効です。
取扱時間は、設置場所ごとに個別に設定されていますが平日の8:45am-5:30pmと土曜日の9:00am-0:30pmは共通で開いています。そして、町の中心部に立地する店舗では日曜・祝日でも9:00am-2:00pmは取り扱っています。
その他、コンビニに備え付けのATMは24時間の取り扱いですが、全ての店舗にATMが設置されているとは限りません。

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7.歩行・工程立案のアドバイス

食事・買い物

市街地部では、レストラン・喫茶店・コンビニエンスストアも多数ありますが、都市部から離れた場所では、その数は少なくなります。
水道の水はそのまま飲んでも全く問題ありませんが唯一トイレの水は浄水でないことがあります。
修行の身である遍路ですが、飲酒や喫煙は自己判断であり、特に強制するような決まりはありません。

トイレ

都市部から離れた場所では、歩き遍路にとって特に大切な事柄です。各札所のほか、鉄道の駅・コンビニエンスストア・スーパーマーケット・市役所・町役場・喫茶店・レストラン・公園などで早めに対応しましょう。やむを得ない場合は、地元の人に相談しましょう。鉄道駅のトイレは駅の構内にあることもありますが、駅員に相談すれば快く入れてくれます。
当然ながら公衆トイレには、必ず掃除をしたり、管理する人がいますので、感謝の心を持ちましょう。また、個人管理のトイレを使わせていただいた時は、感謝とお礼の証として小銭をお供えしてもよいでしょう(トイレには烏枢沙摩明王(うすさま明王:炎で清い場所に変える)が祀られていることが多い)。
Shikoku Japan 88 Route Guideには私の現地調査により確認したトイレを掲載していますが、中には使うのをためらうような美しくないトイレもあります。

宿

1日の行程は当然ながら朝、宿を出発し夕方には次の宿に到着します。日々この繰り返しとなります。1日の行程を立案することは、宿から次の宿までの距離が重要な要素です。ですので、夕方まで歩いて自分の到達できそうな場所に宿がない場合は、もっと手前の宿に泊まることになります。 夕方宿に着くと、まず金剛杖や衣類を洗ったりしてから入浴、そして食事となります。次の日の準備も忘れてはなりません。食事はたいてい食堂で他の遍路と一緒に食べますが、そこは同じ道を同じ日に歩いてきた遍路どうしなので、それまでに見聞きしたことの情報交換などで、話が弾み楽しい充実した時間となります。

洗濯

宿では洗濯ができます。有料の場合とお接待で着いた時に無条件で洗濯物があるかどうか聞いてくれる宿も多くあります。たいていは翌朝の出発までには乾きますが、湿度の高い夜などは乾かないこともあります。乾燥機があれば使うこともできますが、乾くまでに結構お金がかかります。こんな時のためにも携帯タイプのドライヤーを持ち歩けば濡れた靴なども乾かすことができ、何かと重宝します。
バックパッカーは、コインランドリーを使うことになります。バックパッカーといえども、出会った人に不快感を与えるような服装は好ましくありません。
他の対策として、消臭剤を衣服や装備品に使用するのも効果があります。

尋ね歩き

人に尋ねることで自分の知識や経験を補うことができます。ひいてはそれが自分自身の価値判断に影響を与えることもあり、とりもなおさず修行となります。人とのふれあいは遍路旅の重要な独自性といえます。

マメ対策

人により個人差はありますが、靴と足の摩擦でできるマメは遍路にとっての大命題です。マメの痛みにこらえきれず遍路を断念した報告も耳にします。
対策に決定的なものはありませんが基本的なこととして

  • 自分の足にフィットした靴を入念に選び、充分な試し履きをする。(購入したての靴を風呂で履くと自分の足にフィットしやすい)
  • 靴底が硬いとアスファルトで足が疲れやすいので、靴の中敷きを柔らかいものに変える。この場合、靴は0.5cmほど大きいものを選ぶ。
  • 摩擦防止のためにテーピングテープ・絆創膏・マメ防止クリームなどで自分の合うものを選ぶ。
  • タコがマメの原因になるので軽石などで手入れをして、皮膚が柔らかい状態を保つ。
  • 5本指ソックスは有効だが、靴と足形がフィットしていることが前提。
  • 午前中は厚手のソックス、午後は薄手のソックスに履き替えるのも一考。
  • 足に違和感を感じたら、放置せず、すぐに水を抜いてテープを貼るとかの対策をする。

筆者は、底の柔らかいゴアテックス製のトレイルランニングシューズ(ローカット)にソルボのインソール(これで片方400g)、そして、素足の親指と拇指球そして小指に絆創膏、さらにアーチ保持のため、足底を持ち上げるように伸びないタイプのテーピングテープを巻いて歩きます。

セルフケア

宿では次の日のために疲労回復に努めます。入浴後に自分のウイークポイントへのストレッチは有効です。ストレッチは、反動をつけずに同じ部位を30秒以上痛くない程度の力でゆっくりと筋肉をのばします。就寝時は気になる部位を温かくすることで、血行を促進し、疲労回復につながります。なお、素人が筋肉を揉むことは、かえって筋肉を傷めることもあるので擦る程度にする。
既に痛みがある場合は、凍傷にならない程度のアイシングを施してから消炎沈痛剤を塗布します。宿で蓄冷剤を借りられるかもしれません。それでも痛みが増大する場合は、休息日を取ることも考えます。

四国のみち

四国のみちは、四国を1周するウオーキングルートです。

(1) 自然に重点を置いた環境省ルート
(2) 歴史と文化に重点を置いた国土交通省ルート

の2つがあります。遍路道ではありませんが、そのルートの多くが、遍路道と重複しています。風光明媚な場所などを上手につないでいるので、遍路以外ではない一般のハイカーも見かけます。
ただし、1)は県の森林部局で細々と断片的に維持管理されているものの崩落などの自然災害から復旧されず放置されている箇所もある。2)は、最近約15年間は全くメンテナンスされていません。1, 2)とも道標が朽ちてしまい判別できないものもあります。

案内表示

遍路道であることを示す行政による道標が沿道各所に掲示されています(山道にはない)。その他、ボランティアグループによる道標も数多くあるので、逆に市街地部で30分以上道標を見かけないと道を間違っているかも知れません。
なお、四国内には、逆打ち用の案内表示は設置しない不文律があります。逆打ちは難しく、順打ちの3倍の功徳があるといわれる所以です。

野生動物・電気柵

遍路道で遭遇する野生動物:猪・鹿・猿・蛇・雉
彼らと遭遇する場所は、山道や中山間地域です。猪に遭遇した場合は、冷静に距離を保って知らん振りをしてやり過ごします。なお、年間で1-2件、遍路が手や足を噛まれて救急搬送されることがあります。野生動物に共通していえることは、くれぐれも食物を与えないことと、遭遇した場合相手が逃げていく、ということです。いずれにしても、相手も同じ自然界の生き物なので遭遇したときには「こんにちは」と挨拶できるくらいの心の余裕がほしいですね。なお、遍路道沿いの田畑には野生動物除けのフェンスやネットを見かけますが、主要遍路道以外のルートでは、まれにゲートで道を遮断しています。その場合、人間は通ってかまわないのでゲートを閉めて通過してください。
また、中山間地域の田畑では野生生物対策の電気柵を設置していることがあります。電気柵は人間が触れても影響のないレベルの電流ですが、触れないに越したことはありません。
蛇についてはまれに「マムシ」がいます。マムシは他の蛇に比較して太く短く頭が三角形をしていて、遭遇しても逃げません。こちらから相手にならない限り襲ってはきませんが、草むらに手を差し入れたら偶然そこに潜んでいて噛まれることがあります。私は、年に1-2度遭遇するマムシ対策として4月から10月はゴアテックスのスパッツで膝から下をカバーします。
マムシに噛まれた場合、死に至ることは1%もありませんが、安静にして即座に救急車を呼ばなくてはなりません。大声を出して周りの人に助けを呼んでもらうのが理想です。

山道・濡れた下り坂

傾斜のきつい箇所や岩稜帯は時速1km程度の歩行速度になる箇所もあります。特に濡れた下り坂の当該箇所や急傾斜のコンクリートやアスファルト区間はスリップしやすく尻餅をついたり怪我することもあります。滑り止めを靴底に装着したり、最も簡便な対策としては靴にロープを巻きつけると効果的です。
夜明け前や日暮れを過ぎた山道のひとり歩きは、目の前が真っ暗で危険度が増大するので、ヘッドランプを装着し、細心の注意で歩きます。

ロスト

迷った時は、躊躇せず元の場所まで引き返します。迷ったままカンで進み続けると大きな事故になることもあります。
3章の縦断図の基本ルートならば道標が充実しているのでロストの心配はほとんどありません。一方、基本ルートを外れると道標の全くない区間もあるので、コンパスやGPS受信機などの装備はあるに越したことはありません。

往復区間

同じ道を往復する区間があります。(別格1・10・別格3・27・35・36・38・別格7・45・60・別格20)この場合、麓の宿や商店などで相談すれば荷物を預かってくれ、軽装で往復できます。荷物を預かってくれた方になにか感謝の意を示すことができれば理想的です。

忘れ物

遍路旅では、普通の徒歩旅行よりも道中で荷物を解く機会が多いので忘れ物をしないように、十二分に注意しなければなりません。
朝、宿を出発するとき、札所にて納経を終えパッキングし直すとき、昼食や休憩にて荷物を解いたとき、これらの局面では二度三度見渡して確認することを忘れないように。そして現金とカード類を別に持つなどのリスク分散対策も併せて考慮します。
実際、札所や宿には忘れ物が数多く残されています。(金剛杖・財布・スマートフォン・ガイドマップ等々)
財布やスマートフォン・貴重品やリュックサックには自分の名前と連絡先がわかるステッカーなどを貼っておくべきです。

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8.宿泊

概説

民宿・旅館・宿坊以外はクレジットカードの使えるところが多い。
遍路道から離れた旅館や民宿の場合、相談すれば自動車で送迎してくれることもあります。
共同浴場の場合は、他の宿泊客を考慮して体が汚れている場合は、湯船に浸かる前に体の汚れを落とします。
旅館や民宿の朝食は、夏で6:00amから、冬で7:00amから、そして夕食は6:30pmからが多いようです。

参考:遍路は海洋信仰を起源とする考え方もあるように、四国の海沿いをループ状に周回するルートなので、民宿や旅館の食事は魚などの海産物が中心となります。
宿坊や家族経営の小規模な宿は、6:30pm頃からの夕食が多いので5時頃には宿に到着すべきです。
宿坊では、寺の実務、また小規模な宿では、彼ら本来の生活があるので宿泊客といえども宿に対する心配りをお願いします。

予約

各寺院周辺に民宿・ビジネスホテルの案内看板のある寺院も多いが、食事の準備もあるので遅くとも当日の昼過ぎにはガイドブックなどで予約すべきです。特に個人経営の旅館や民宿では、朝・昼・夜以外の時間帯は家人が買物などに出かけていて電話が通じないこともあります。
遍路に適した時期には、遍路の数も一気に増えます。特に土日や祝日の前日、さらに祭りやスポーツ大会などの地域イベントが開催されると付近の宿が全て満室となることもあります。このような場合の対策として、以下の方法があります。

  1. 相部屋できるかどうか尋ねる。
  2. 2-3日前に予約する。
  3. 空き部屋のある地域まで電車やバスで往復する。

宿では食事や風呂の準備をして待っているので、やむを得ずキャンセルする場合はすぐに電話で伝えること。
反対に予約無しで宿を訪問することも宿の迷惑を勘案し避けなければなりません。

宿の種類

宿の種類は1)民宿・2)旅館・3)ビジネスホテル・4)ホテル・5)宿坊に大別されるが民宿と旅館、ビジネスホテルとホテルの区別は明確ではありません。
民宿の一部を除いて、入浴用のタオル・ヘヤードライヤー・浴衣(部屋着)・使い捨ての歯ブラシとひげそり・お茶、を用意してくれています。

ホテル

欧米スタイルの典型的なホテル。

ビジネスホテル

部屋・ロビーなど全体的に小規模でホテルより安価。

旅館

宿のメインターゲットが遍路か一般の観光客かで価格帯が大きく2分される。遍路がメインターゲットの小規模な旅館の価格帯とサービスは民宿と同じ。

民宿

家族経営であるため宿側にも冠婚葬祭や年中行事のために不定期に休業することがあります。

宿坊

お寺が経営する宿泊施設で主に団体遍路向けだが、空きがあれば個人でもOK。夕食後や早朝に「お勤め」と呼ばれる読経に参加できたり住職の「法話」が聞けたりする(参加は任意)ほか、寺の仏像や装飾品を身近に鑑賞できます。2食付、共同浴場、年末年始は休み。

その他の宿泊方法

通夜堂

いくつかの札所では通夜堂と称して無料で宿泊スペースを提供しています。宿泊スペース以外、ふとんなどの装備はないものと考えてください。
歩き遍路に敬意を表して、私ができるアドバイスとしては、通夜堂の有無についての情報は遍路旅の途中で出会う他の遍路から情報を仕入れるか、夕方の時間帯に直接札所に聞いてください。そして札所にて夕方4時をまわった時間帯に納経所に使わせていただいてもよいか、を交渉してください。通夜堂は寝るためだけのスペースであり、火気厳禁であり、食料はあらかじめ自分で調達してください。

善根宿

地域の人の善意により無料もしくは低料金で遍路のために提供される善根宿があります。現地の札所や通夜堂と同じく他の遍路などに聞いてください。大部分の善根宿は予約できませんが予約が必要な宿はShikoku Japan 88 Route Guideに掲載してあります。もちろんきれいに使わなければいけない。

通夜堂と善根宿について筆者からひとこと

私は約20カ寺にて通夜堂を確認していますが、あえてその寺院名を公表することは控えます。なぜなら、札所自身が通夜堂での宿泊を歓迎していないから。歓迎しない理由は、法律上の宿泊施設では無いからです。そして、防犯上問題があること、万一の火災の危険性があること。本来通夜堂とは、仏事をするために、寺の境内に設置されたお堂のことです。死者の弔いなどのために夜通しお勤めをすることを「通夜」と言います。たまたま四国では金銭的に恵まれない遍路に提供されているに過ぎません。
これが昨今、ネット環境が整うに従って情報が拡散し、さらに「ただで泊まれる便利な施設」などと自己中心的な誤った解釈が頻繁に聞こえてきます。
善根宿にも通夜堂と類似の運営上の事情があります。
オーナーは、本当に人の良い人で、心のきれいな人であるために善行をしたいという気持ちから、遍路をもてなそうとなけなしの私財を投じて宿を開設しています。見ず知らずの人が毎日入れ替わり立ち代り泊まるので、近所の人の中にはよく思わない人もいます。にも関わらず、一部の無神経な遍路が「あそこは電気も水道もない、布団が汚い」などの本末転倒な苦情を言う人がいます。
あなたはマナー守っていますか?管理者に対して感謝の気持ちを示していますか?善根宿のお世話になった遍路は托鉢の精神で、管理者とそのご家族の幸せをお祈りすべきなのです。
このように通夜堂と善根宿は明日閉鎖するかもしれない大変デリケートなものです。この他人を思いやる涙が出てくるほど素晴らしい四国の遍路文化を未来まで続けたいので、遍路が押し寄せてほしくないので公表を控えます。

野宿

法律では、キャンプ場以外での野宿は認められていません。ただし、現状では、野宿に適した場所で野宿する遍路も少なからずいます。好ましい場所としては、(キャンプしやすい順)キャンプ場・遍路用あずまや・道の駅・砂浜・河川敷・公園・寺や神社の駐車場・屋根つきバス停などの施設があるが、管理者や近所の人を見つけて許可を得るべきです(道の駅は幹線道路に面しているので夜中でも周囲が騒々しい)。相手がいやな顔をしたらあっさりとあきらめてください。地元の方々にとっては毎日のことなので、後につづく遍路のために、そして自分のために、くれぐれもゴミを残したり施設を傷つけたり、大声をだしたり、など近隣に対して迷惑をかけてはならない。過去に地元の方に迷惑がかかったために「キャンプ禁止」などの貼り紙のある休憩所が現実にあります。
野宿したい場合は、たとえば夜なら8時を過ぎ、付近の人が出歩かない時刻まで設営を待って、朝は6時までの人目につかない早朝に撤収して出発する方法もあります。
野宿による遍路でも、たまには宿に泊まって洗濯をしたり充分な睡眠をとったり、道具の手入れをしたりしてリフレッシュすることも一考して下さい。
野宿の装備として、テントをお持ち下さい。テント無しシュラフだけを持ち小屋やスーパーなどの軒先で夜露をしのぐ遍路を見かけますが、それはハナから他人を頼っている、ということです。衆生を助けるために、自分を磨くべき遍路のポリシーはおろか、人間としての自立性に問題があります。
最近のテント・シュラフ・マットは軽量・コンパクトで高機能なものがあり、価格は安くないが回数を多く使うとそう高い買物でもない。

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9.お遍路の装備

遍路旅において服装や所持品に厳格な決まりはありません。伝統的なスタイルに抵抗のある方は自分好みのスタイルで構いません。
ただし、遍路装束を身につけていれば「お遍路さん」として認知され、受容され、道を教えてもらい、あたたかいあいさつを交わすこともできます。さらに白衣を着ると身の引き締まる思いを感じるのも事実です。第一番札所霊山寺で全てを揃えることができるほか、各札所や札所付近の仏具店にて売られているところも多くあるので、必要に応じて適宜そろえる方法もあります。
最低限の装備としては、納経帳、金剛杖、白衣、あたりです。
密教の教えで三密があり、そのうちの身密とは「身なりをただして仏につかえる。心の乱れは身なりに現われる」とあるように、身なりもおろそかにはできません。ちなみにその他の2つは、1)口密:お経を口から発することにより仏に近づくこと。2)意密:意識・心構えなど精神的に仏に近づくこと。
金剛杖・菅笠・白衣は再生の旅の象徴であり、同時に死装束を意味する。
結願した納経帳・判衣・金剛杖などを肉親や自分の棺桶に入れ「極楽浄土への身支度」とする人も少なくなありません。
一人の遍路として装備品には自分の名前と連絡先を書くことをお勧めします。

金剛杖

値段 1000円から
お遍路を導く「弘法大師」の化身であり最も神聖な用具です。かつては、行き倒れたお遍路の墓標の代わりに立てられたそうです。
杖の材質は、主に杉・他には桧や樫もあります。最上部の切れ込みは、仏塔の一形態である五輪形(仏教の世界観を表し、下から地・水・火・風・空)であり、それぞれの梵字が記されています。また五輪形は密教において最高位の大日如来を表し、ひいては弘法大師につながる、とされます。さらに五輪形は、供養のための卒塔婆と同意でもあります。その下は「南無大師遍照金剛」の御宝号と「同行二人」が記されています。さらに四角柱の各面は発心・修行・菩提・涅槃の各道場を表します。このように杖の最上部は、神聖な部分でありその意味でカバーをかけたりします。
当然ながら本来の役割として体を支えたり、蛇などから身を守るために用いるが、その取り扱いは弘法大師の化身なので粗末に扱ってはいけない。基本的な扱い方は、朝、宿で杖に合掌し行を始め、夕方宿に到着すると洗って合唱し一日の行を終えます。
また、「橋の下には弘法大師が眠っているかも知れない」との伝説(18.十夜ヶ橋参照)から、橋を渡るときには杖をついてはいけない。
長く歩くと先端がすり減るが、手入れには刃物を使わず路面などでこする、などが取り扱いのルールとされています。
大師の化身である金剛杖ですが、納経時にお寺に忘れる遍路が多いようです。88番大窪寺では、使い終わった金剛杖を奉納できるが、旅を友にした大切な記念であるので、持ち帰りを推奨する意味もあり有料(1000円)となっています。
杖は歩行の道具であると同時に精神的な支えですが、現実的には遍路個々人の考え方により、金剛杖の取扱は違ってきます。高機能なトレッキングポールを使う遍路もいます。
先達の杖は、より弘法大師に近い形態の円柱・朱色で最上部が金属製で音の鳴る錫杖であり、煩悩を除去し、悟りを開く効果があるとされています。

菅笠

値段 1500円から
日よけのほか、ビニールカバーがかけられているので、雨具に最適です。礼拝時、お堂の中や僧の前でも笠をとらなくても構いません(17世紀の書物にはとるべき、との記述あり)。歴史的には遍路が旅の途中で倒れた時に遺骸の上に置いて、棺の代わりを意味します。
菅傘には、次の6つの言葉が書かれています。
「迷故三界城」・「迷故十方空」・「本来無東西」・「何処有南北」(四句の悟り)と「同行二人」・弘法大師を表す梵字。
四句の悟り、とは、精進や修行を重ねながら輪廻の世界観を体得し、たとえば方角などの隔てなく、大自然と一体化していこうという遍路の戒めであるとともに決意です。

迷故三界城
日常生活では、三界(心の成長段階で分けられた3つの世界[欲・色・無])にとらわれ、苦しみ悩んでいる。迷っているからこそ、自分自身を見失い、そして自分で勝手に自分の前に城壁を作ってしまう。

悟故十方空
精進修行し我を捨ててれば、迷いから離れ、自分を含め宇宙全体までもこだわりが消えて心が安らかになる。

本来無東西
もともと生まれたての赤ん坊のように自我が無ければ、東も西もなく、自身は宇宙の中の一点に過ぎない。

何処有南北
同様に南や北もなく物事に執着せず、こだわりを捨てることは、苦しみや悩みをなくし、人生に広い世界が広がる。大らかに世の中を渡っていこう。最終的にそれは即身成仏の世界観である。

笠をかぶるときは梵字を正面とし、その他の文字は方角に基づいて配置されているが歴史的には変遷があります。ただし、弘法大師を表す梵字は、四国の中で遍路の始まる徳島である東を意味します。
購入時の紐は風に弱いこともあり、適宜自分好みに補強することも一考です。
背中の荷物が大きい人は笠と荷物があたるので購入時にテストしましょう。
回数を重ねた遍路には弘法大師と同じスタイルの網代笠を使う遍路もいます。

白衣と笈摺

値段 白衣2100円から・笈摺1700円から
清浄無垢な姿を表し、かつては、どこで死んでもかまわない、二度と帰宅しないという覚悟の死装束を意味しました。正式なスタイルは、白衣の上に笈摺を着ます。着用とは、別に納経所で朱印をもらう判衣用に、もう1着を用意する人もいます。判衣は洗濯することができないので、汚さないように気をつけましょう。88の朱印がそろった判衣は家宝となったり、その人が火葬されるときに着せてもらう死出の晴れ着となります。
あたかも死装束をまとい、自分の墓と棺を持ち歩く、これは相当シュールな旅です。
16番観音寺のみ、白衣の襟に光明真言を刷り込んでいただける(1500円)。

数珠

値段 2000円から
宗派によって形状が異なるが四国遍路では真言宗のものを用います。これを持って仏さまに手を合わせれば、煩悩が消滅し、功徳を得られるといわれています。房の部分を右手中指と左手人差し指(中指でもよい)にかけ、真ん中の輪の部分を手のひらで包み、合掌時には3回を限度に玉を擦り合わせます。

納札・札ばさみ

値段 納札100円/100枚から
住所・氏名や願いごとを書き、本堂と大師堂に備えられた箱に納めます。お接待のお礼にも渡したり遍路同士の挨拶代わりに渡したりする名刺のようなものです。自分で文字を書いて自作しても構いません。
四国の民家では納札を集めると家の災難を免れるという信仰があります。かつての遍路には納経帳に朱印をもらうことより、納札を納めることが主目的でした。
納札は、色の違いにより6種類あります。結願の回数により使い分けられるが、その時々の時代により、相違もあり、明確に決まったものではないが、現在の通説は以下の通りです。

  • 白 1回-4回
  • 緑 5回-7回
  • 赤 8回-24回
  • 銀 25回-49回
  • 金50回-99回
  • 錦100回以上

でも、初心を大切にする人は何回回っても白を使い続けたりします。
独特の形である納札の入れ物が「札ばさみ」であり、同時に線香やろうそくも収納できるタイプが使いやすい。ペンケースなどでも代用できます。

納経帳・掛け軸・判衣

値段 納経帳2000円から・掛け軸12000円から(別途軸装30000円から)
霊場にお参りした証として、納経所で墨書・朱印をいただきます。
掛け軸は、納経帳と同じく墨書・朱印をいただき、全部埋まった掛け軸は軸装して格好の家宝となります。
判衣には朱印のみの押印です。
納経帳や納札は、過去の遍路を研究するための重要な手がかりとなります。

輪袈裟

値段 1200円から
首からかける略式の袈裟(僧侶の正装)で、仏教に帰依する意味で着装する霊場礼拝の正装具です。ただし、食事やトイレなどの場合ははずす必要があります。
袈裟とは釈迦の修行着が起源で、使いふるしてボロボロになった赤褐色のハギレを縫い合わせたイメージのもの。
本来、輪袈裟とはつながった輪の形状であり、四国遍路で輪袈裟と称される布を紐で連結した袈裟の正式名称は半袈裟です。

経本

値段 300円から
般若心経、真言などが書かれています。読経するときは、覚えていても経本を確かめながら急がず丁寧に心を込めて読経します。

頭陀袋

値段 1200円から
経本、ろうそく(250円から)、線香(300円から)や納経帳など巡拝に必要なものをいれます。さんや袋ともいわれ、防水用もあります。

持鈴

値段 1000円から
正式な読経では持鈴を振ります。持鈴の音は、おまいりする者の煩悩を払い、清浄な心にしてくれる響きだといわれます。経文の句読点の意味を持ちます。

実用的な装備

装備については、人それぞれそれまでのハイキングなどの経験や好みもあるので一概に限定することはできませんが、ここでは最も一般的な装備を記述します。

衣類

衣類の基本は、歩行用1セット・雨具1セット・下着2セット、野宿の場合は就寝用も考慮します。登山用品店などでさまざまな吸汗性、速乾性、携帯性にすぐれた高機能ウエアを選ぶことにより、荷物の軽量化につながります。体温調節がしやすいように薄手のウエアを重ね着すると様々な気象状況に対応できます。ベース・セカンド・サードなどレイヤー別に季節に応じて重ね着する考え方です。風邪をひいたりすると結局全体の旅程にまで大きく影響します。

レインウェア

季節や経験によりいろいろな選択肢があります。険しい山道区間は少ないのでザックも一緒にカバーできるポンチョタイプが実用的で、レインパンツと併用すれば万全です。札所での納経のたびにザックを降ろし、中の用具を出し入れするためにはポンチョタイプが有利です。他にはセパレートタイプの高機能なレインウエアとザックカバーの組み合わせならポンチョタイプよりかさばらないので、雨以外の目的(キャンプ・防寒)にも兼用できます。

最も重要なアイテムなので、自分にあったウォーキングシューズを入念に選びましょう。雨天時にも快適に歩けるもの。行程のほとんどがアスファルトで舗装された道路なので、足への負担がかかるため、自分に合った靴の選択が旅の快適さを大きく左右します。(専門店で適切なアドバイスを受けるのがベター)

ソックス

フィット感があり、吸汗性、速乾性にすぐれたもの。フィットしない靴下は歩行中のマメの原因になります。

ザック

自分の体型に合ったもので、容量は25L(野宿遍路は40L)程度がよい。歩行の快適さに大きく差が出るので、あなたの体型に合った腰ベルト付きのものがおすすめ。
私の場合は毎日長時間背負っていると背中がかゆくなるので背面に空間のあるメッシュ地のザックを愛用しています。

ウエストポーチ

何度も利用する小物を入れるのに便利。頭陀袋との併用は歩きにくくなります。

帽子

自分好みのアウトドア用帽子でもかまわないが、ビニールカバー付きの菅笠は、強風以外の全ての気象条件に適用したすぐれものです。
夏は日差し除けの効果が大きいほか、雨天では余裕のある傘となります。

雨傘

高機能レインウエアといえども真冬以外は蒸れることもあり、またいちいち雨具を着脱するのは面倒なので折り畳み傘をザックポケットに入れる遍路もいます。特に小雨が降ったりやんだりするような天候時に有効です。
私はそのような天候でも菅笠で代用できるので持ちません。

スマートフォン

実に様々な機能が活用できます。(天気予報・翻訳・地図・GPS・カメラ・通話・emailなど)

常備薬・救急用品・衛生用品

あなたが日常的に常用しているもの。途中で補給できるので必要最小限に。テーピングテープの使い方を知っていると関節痛などのトラブル時にセルフ応急手当ができます。

虫対策

蚊は4月から11月くらいに発生しますが、他に7.8月に山間部の清流沿いでアブが発生し、刺されるとかなりの痛みとなります。ドラッグストアでは旅行に適したコンパクトで高機能な各種商品があるので、自分に適したものを選ぶとよいでしょう。

ドライヤー

雨天時の歩行の後に宿にて濡れた物を乾かすことができる(衣類・道具類・ザック・靴など)。旅行用のコンパクトなもの。

その他(自分に適したもの)

目覚まし時計・カメラ・コンパス・懐中電灯・ヘッドランプ・アーミーナイフ・辞典・電子辞書・パスポート・保険証・貴重品入れ・筆記用具・サポーター・手袋・ヒモ・電池・防水袋・エマージェンシーブランケット

アドバイス

歩き遍路の場合、荷物は必要最小限に。長距離を長時間にわたって歩くので軽量化を追求すべき。男性で4〜5kg、女性で3〜4kgくらいが理想的です。購入したアウトドア用品は、あらかじめ使っておくと、本番でトラブルをふせぐことができます。
ただし、野宿装備では10kgを優に越える遍路も少なくありません。

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10.作法

お参りの順序

この順序は必ずやらなくてもかまいませんが、一般的な順序です。

山門

山門の前で本堂に向かって一礼する。邪悪を祓う

水屋

手を洗って口をすすぎ清める。順序は右手、左手、口。口をすすぐことは、身体の外と内を清める行為です。また、輪袈裟を掛けたり、数珠の準備をします。

鐘楼

本尊にお参りを告げる意味で鐘を1回つきます。参拝後につくのは、「戻り鐘」といい縁起が悪いとされています。

本堂

ろうそく1本、線香3本(過去・現在・未来)をあげる。ろうそくは後の人のために奥から立てる。鰐口を1回鳴らして本尊にお参りすることを告げます。納札箱に納札や写経を納めます。お賽銭を納めたら合掌して読経をします。
本堂では、般若心経をはじめ、ご本尊の真言や御宝号などを順序よくていねいに唱えるのが普通ですが、心をこめ、ただ手を合わせるだけでもよいのです。慣れてくると唱えられるようになるかも知れません。
賽銭は投げ入れるのではなく、ご本尊様やお大師様にお受けいただく、感謝の気持ちで賽銭箱に入れます。お勤めは、後から来られたお遍路さんの妨げにならないように立つ場所に気をつけます。

大師堂

本堂と同様に参拝、読経をします。

納経所

納経帳にご朱印をいただく、と同時に本尊を印刷した紙片(御影)が授与されます。御影は、紙片なので紛失に注意します。他に掛け軸や判衣に朱印をいただく遍路もいます。同じ札所での2回目以降の納経は朱印のみ重ねて押すので、回数が多くなると納経帳は次第に真っ赤になって行きます。
納経帳に墨書や朱印をもらうための受付時間は7:00am - 5:00pm(ただし、62番だけは7:00am-正午, 1:00pm-5:00pm)。本来はお参りを済ませてから納経帳に朱印をいただくが5:00pm直前に札所に到着した場合は先に朱印をいただきます。

山門 山門を出るときは振り返り一礼する。

読経の順序

A) 合掌 自分の胸の前で両手を合わせます。
[うやうやしく、みほとけをれいはいし、たてまつる]と唱えながら頭を3回下げます。
(その寺の本尊に敬意と忠誠をつくします)
B) 開経偈(かいぎょうげ)を1回。 無上甚深微妙法[むみょうじんじんみみょうほう]
百千万劫難遭遇[ひゃくせんまんごうなんそうぐう]
我今見聞得受持[がこんけんもんときじゅじ]
願解如来真実義[がんげんにょらいしんじつぎ]
(これから仏事を行うに際し、仏様に目前に来て頂くお経)
C) 懺悔文を1回 我昔所造諸悪業 [がしゃくしょぞうしょあくごう]
皆由無始貪瞋痴 [かいゆむしとんじんち]
従身語意之所生 [じゅうしんごいししょしょう]
一切我今皆懺悔 [いっさいがこんかいさんげ]
(私の今までの様々な悪しき行いは、
すべて昔からのおごりと怒りと愚かさを原因として、
身体と言葉と心によってなされたものである。
それら全てを私は今みな懺悔する。)
D) 三帰依文を3回 三帰
弟子某甲[でしむこう]
盡未来際[じんみらいさい]
帰依仏[きえぶつ]
帰依法[きえほう]
帰依僧[きえそう]
(仏陀の弟子の「私」は、未来の果てが尽きるまで、仏陀を深く信じ、仏陀の説かれた真理を深く信じ、仏陀の教えを実践する僧を深く信じます。)
三竟
弟子某甲 [でしむこう]
盡未来際 [じんみらいさい]
帰依仏竟 [きえぶっきょう]
帰依法竟 [きえほうきょう]
帰依僧竟 [きえそうきょう]
(仏陀の弟子の「私」は、未来の果てが尽きるまで、すでに仏教を深く信じ、すでに教えを深く信じ、すでに仏教の教えを実践する僧を深く信じます。)
E) 十善戒を3回
  1. 不殺生[ふせっしょう]:生きているものの生命を尊重する。
  2. 不偸盗[ふちゅうとう]:他人のものを盗まず、大切に扱う。
  3. 不邪淫[ふじゃいん]:節度を持って性に対する。
  4. 不妄語[ふもうご]:嘘をつかない。
  5. 不綺語[ふきご]:飾った言葉を使わない。
  6. 不悪口[ふあく]:相手を思いやり、悪口を言わない。
  7. 不両舌[ふりょうぜつ]:誰にも真実を話す。
  8. 不慳貪[ふけんどん]:欲張らない。
  9. 不瞋恚[ふしんに]:心は平静を保ち、怒らない。
  10. 不邪見[ふじゃけん]:良くない考えを起こさない。
F) 発菩提心真言を3回 [おん ぼうぢ しった ぼだはだやみ]
(私はさとりを求める心をおこします。)
G) 三摩耶戒真言を3回 [おん さんまや さとばん]
(私は仏さまと一体平等です。)
H) 般若心経(はんにゃしんぎょう)を1回唱えます。 般若心経は膨大な教典を漢字262に凝縮したお経です。日本に仏教が伝わる以前に中国の玄奘三蔵がインドより持ち帰ったものなので、その後に分派した日本では複数の仏教宗派に使われているオールマイティーなお経です。
その意味は「悟り」の境地に至るための「空」の思想を説いた教典であり、「この世に永遠不滅なものはない。物事全ては刻々と変化する仮の姿に過ぎず、だから必要以上に物事にこだわる必要はない。もっと力を抜いて楽に幸せに生きる真言を唱えよう。」
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若 波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経
I) ご本尊真言を3回唱える。 本堂の柱などに「ひらがな」で書かれている。
J) 光明真言(梵字)を3回唱える。 [おん あぼきゃ べいろうしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん](金剛界の五仏よ、光明を放ちたまえ(最強の真言))
K) ご宝号(弘法大師の名)を3回 弘法大師様に信心をささげます 南無大師遍照金剛
[なむだいし へんじょうこんごう]
(弘法大師の真言 or お大師様に従います。)
L) 回向文(えこうもん)を1回唱える。 願以此功徳 [がんにしくどく]
普及於一切 [ふぎゅうおいっさい]
我等与衆生 [がとうよしゅじょう]
皆共成仏道 [かいぐじょうぶつどう]
(できるものなら私の良い行いの報いが、この世のありとあらゆる物すべてに行きわたり、自分を含めたすべての人々と生き物が、皆と共に仏の道を進んでいきますように。)
「ありがとうございます」といい、合掌して頭を下げます。

以上の「お祈り」は必須ではなく、心がこもっていればいい、とも言えます。でも、H)の「般若心経」とK)の「ご宝号」は省略すべきではありません。また、本堂以外に大師堂でも同じことを行いますが、大師堂では弘法大師が祀られているので(I)を省略します。
境内の通行
山門や石段、参道も全て左側を歩きます。納札箱や賽銭箱は一段高い所にありますが、左から上がり、時計回りに下ります。

トイレ

輪袈裟、菅笠、納経帳、数珠などを持ち込まないようにします。ご本尊様やお大師様を不浄にお連れすることになります。白衣の背中にも「南無大師遍照金剛」とあります。何も書かれていない白衣であれば大丈夫です。

神社の参り方

1868年以前は仏教と神道が混沌と融合していたので、88の札所に関係の深い神社も多く存在します。遍路としてはそのような神社にもお参りするのが理想的です。

順序 鳥居もしくは拝み石で一礼をする。
参道の真ん中を歩かず端を歩く。
手水場で手と口を清める 賽銭を供える
二礼
二拍手
一礼
誓いの言葉を述べる
社務所にて納経帳に御朱印をいただく
鳥居もしくは拝み石で一礼をする

食事(じきじ)

食前合掌 天地の恵みに感謝の意を表し、生産者や調理者にも感謝し残さずきれいにいただきます。
食後合掌 屋外の場合は少しの米粒やひとかけらのパンを手のひらにのせ一礼し周囲の諸霊にお供えします。

滝行

滝行は日本古来の禊(みそぎ)の方法のひとつ。罪・謝り・穢れを祓い、「こだわりのない自然な心」にリセットする修行です。

滝修行の主な目的 心身鍛練・決断力の育成・潜在能力開発・精神を統一・悩みごとから心を解放
滝修行の順序

入滝前
白衣に着替え、数珠を持つ
滝に向かい、札所お参りと同様に読経する

入滝
心身を整えて入滝
精神統一を行う
不動明王の印を結ぶ(合掌でもよい)
御宝号「南無大師遍照金剛」、滝の守り神である不動明王の真言
「ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」
入滝後
滝に向かい「南無大師遍照金剛」と「ありがとうございました」

冬の滝行は経験ある指導者なしでは危険です。
入滝の時間に特に決まりはありません。
建治寺・慈眼寺灌頂の滝・36青龍寺・61奥の院・68仙遊寺・仙龍寺などが滝行場として有名。

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11.お遍路の戒め

人として

  • 何しにわざわざ四国へ来た?
  • 非効率、不快、不安、欠乏、危険。試練を与えてくれたことを感謝する。
  • 苦しみ、道に迷っても、克服しながら前に進み、困難を乗り越えた満足感。
  • 不自由を我慢して、人の情けに助けられ、人の立場に立った思考をするのが遍路。
  • 人間の思考速度は歩く速度に合っている。感性が磨かれる。
  • 不平、不満を言い、楽なことを考えるのは遍路じゃない。
  • 素晴らしいのは人との出会い。出会った人には気持ちよく挨拶する。
  • 後に続く遍路のことを考え、人に迷惑をかけない。

三信条

  1. 弘法大師が最後の一人まで救ってくださることを信じ、同行二人の精神で謙虚に巡拝します。
  2. 道中で困ったことや苦しいことがあっても愚痴を言わず、修行と考えます。
  3. 現実の世の中にて救われることを信じ、悟りが得られることを願い巡拝します。

十善戒

前述、10.作法 読経の順序 (E) 参照

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12.お接待

「お接待」とは、遍路に対して地元の人々が食べ物などをプレゼントすることです。昔は自動販売機やコンビニもなく、社会全体が貧しかったので、こうした施しによって、遍路はかろうじて生き抜くことができたわけです。米や衣類も、重要な「お接待」のアイテムでした。一方、地元の人々にとってみると、お接待という名の福祉活動であると同時に、遍路は弘法大師の身代わりでもあり、また自分たちに代わって遠方の札所でお参りをしてくれる、宗教的な価値をもった存在であったのです。
この「お接待」の風習は、今も生きています。車やバスではほとんどその機会がありませんが、歩き遍路は通りすがりの家から、またすれ違った人から「お接待」を受けることが多々あります。
このお接待は宗教的な価値があるので「断ってはいけない」とされています。しかしながら中には、最寄の札所まで自動車で送るお接待などもあります。自分にとって受け入れることの出来ないお接待は理由を説明して断るのが理想的です。
また、遍路も慣れてくると「お接待」を受けることの感動が薄れる遍路もいます。「お接待は当然」と考えるような高慢な遍路も散見します。見ず知らずの人に「お接待」する人の敬虔な気持ちを考えてみてください。お接待は、いただいた方のことを本気で考えて心して受けなければなりません。自分が「お接待」を受けるにふさわしい人間かどうか考えてみてください。

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13.弘法大師(空海)

弘法大師(空海)は日本の歴史上最も民衆に親しまれ続ける人物の一人であり、日本全国に彼にまつわる伝説が残る。彼は僧であるほか、書道、教育、芸術、土木など多方面に足跡を残し、さながら日本のスーパーマンとも言えます。
空海は真言宗の宗祖です。四国遍路は、弘法大師(空海)の青年時代の修業の地をたどる旅、と考えられ、精神的・肉体的に解放を願う遍路共通の心のよりどころとなります。
ただし、空海本人に関する研究からは全知全能の神のようなイメージは導けません。真言宗の開祖という立場が、その後、弟子たちにより神性あるいは霊性を付与されたと考えるべきです。具体的には高野聖や真念と寂本の著述活動による影響が大きいのではないでしょうか?(彼らは完全な空海の信奉者)
今でも高野山奥の院の大師御廟へは今も生きているという考えから日に2回の食事が届けられます。
弘法大師を示すサンスクリット語

空海の略歴

774年 讃岐の国多度郡(現在の香川県善通寺市)に土地の有力者、佐伯氏に生まれる。(幼名:真魚まお)
792年 18歳で官吏を目指し学生として奈良の大学に入学するが、仏教に魅力をもち中退する。修験道に入り「虚空蔵求聞持法」と呼ばれる密教の修行を故郷の四国で行う。
797年 24歳で初著「三教指帰」を著し、儒教、道教、仏教を比較。
804年 28または29歳で奈良の東大寺にて正式に出家。その直後、遣唐使に加わり804年福州に漂着後、都の長安に入る。
805年 密教の第7祖、青龍寺の恵果阿闍利(746〜805)から密教を学ぶ。恵果は密教思想を空海に託す。(現在の青龍寺跡に1982年に「空海紀念碑」が建てられるほど評価が高い)恵果は「遍照金剛」の名を与える。
806年 唐へ20年間の予定で行ったが、恵果阿闍利の「日本で密教を広めよ」の命に従い2年で帰国。
813年 奈良・東大寺の別当に任ぜられる。
816年 和歌山の高野山に金剛峯寺(ユネスコの世界遺産に登録)を創建。
821年 香川県の農業用貯水池(満濃池)の改修工事を手がけ、宗教にとらわれない社会奉仕を展開する。
828年 京都に文化の恩恵を受けない大衆のために私立の教育施設「綜芸種智院」を開設。
830年 「秘密曼陀羅十住心論」10巻を著し、人間のありようと仏教の立場を解説。
835年 高野山にて入定。
921年 醍醐天皇より「弘法大師」の号を受ける。

日本人はこの高僧のことを親しみを込め「お大師さん」と呼びます。四国遍路は空海が開いたかどうか明確ではありませんが、21世紀の今もなお四国を巡るお遍路たちは、慈悲の心に満ちあふれた空海が、あたたかく包み込み庇護してくれている、と信じています。

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14.遍路の歴史

88という数字の根拠

多くの説があるが真偽は定かではない。

  • 厄年の合計(子ども13、女性33、男性42)。
  • 米の漢字を分解した。
    注)稲作文化は日本の歴史において政治・生活・儀礼など全てにおいて基礎的なもの。
  • 熊野九十九王子を真似たもの。
  • 8という数字は末広がりの吉祥の数であり、それを重ねたもの。
  • 日本人は往々にしてゴロの良い数字を好む傾向があり単に“たくさん”の意味で88を選んだ。

歴史

修行僧の時代
四国遍路がどのように始まったのかは、実は定かではない。空海が始めたとか、衛門三郎が空海を追って四国を巡ったのが始まりであるとも言われています。
文献に現れるのは空海(797年)24才の著作「三教指帰」、続いて12世紀の今昔物語と梁塵秘抄。当時は「四国の辺地(へち)」と表現され、これは辺境の地・海沿いの土地・端っこの地、といった意味がある。この時代は修行僧や修験道の行者などが苦行をすることで呪力・霊力を身につけることが主目的でした。四国に比較して文化の先進地であった周辺地域から結界の地を求めて海洋信仰と山岳信仰の両方が存在する四国に渡ったと考えられます。未だ八十八という数字は明確ではなく、四国に散在する無数の行場を求めて。
次の段階として1280年の醍醐寺文書に初めて「四国遍路」の文字が現れます。また、12世紀-15世紀に活躍したのが高野聖です。彼らは高野山にとっていわば働きバチのような存在で高野山への寄付を集めるために四国を巡った半僧半俗の人であり、大師信仰の確立と遍路道の形成に大きく寄与したと考えられます。当時の社会情勢は飢饉が頻繁におこり、そのたびに多数の餓死者がでるような貧しさの中で、民衆が宗教にすがりついたのでした。 88の数字が現れるのは1471年、次に1629年だが考証が未だ不明確です。
現在のように88ヶ所を巡拝する形態が確立され、「四国遍路」という名が確立したのは、16世紀末から17世紀と考えられます。まず1653年の紀行文「四国遍路日記」澄禅、そして真念(高野聖と考えられる)が四国遍路ガイドブック『四国遍路道指南』(1687年)を歴史上はじめて大衆向けに刊行し、以降増版を重ねるロングセラーとなりました。さらに歌舞伎や浄瑠璃でも遍路が取り上げられ庶民に浸透するようになりました。大衆化の条件としては、社会の安定・経済成長・安全性・沿道施設の整備・交通手段の確立などが挙げられます。この段階以降に裕福な観光遍路が出現するようになりました。その後は、いくつかの政治や戦争の影響により盛衰を繰り返し現在に至ります。現代では、自動車や鉄道などの発達により、新しいスタイルが生まれています。道路や案内の道標も飛躍的に充実し観光的要素も加わり遍路旅へのハードルも低くなり多くの人に親しまれるようになってきました。また、物質的に恵まれた時代の中で、本当の豊かさ、心の癒しを求める人々が増えブームの追い風となっています。

補足として
接待は、遍路の最も特徴的な一面であるが、職業遍路を生む要因ともなりました。肺病やハンセン病は、当時遺伝病と考えられていたので家に病人が出ると村八分になることを恐れ遍路に出しました。彼らは他の遍路からも差別され遍路道ではない間道を歩き、宿泊所からも嫌われもっぱら庵の軒などで一夜を明かし、盗賊となるものもいました。大師の功徳で病が治ることを夢見たが、そのまま行き倒れた病気遍路の墓が今も道沿いに散見されます。このような遍路の増加に手を焼いた行政のうち、財政的に厳しかった土佐藩と宇和島藩は1663年から遍路の入国を制限する措置をとり、最たる政策は1854-1866にかけての遍路入国禁止でした。
このように日本が貧しかった時代の遍路は宗教的な目的の遍路以外に事件や不治の病などで地域社会からはみ出された人々が辺境の地であった四国へ追い出された乞食遍路が増加したこともあり遍路にはダーティーなイメージがありましたが現在ではそのイメージも一掃されています。

遍路は、仏教伝来(538 or 552)以前の自然信仰・神道に加え。仏教・修験道・大師信仰など多様な信仰の複合体といえる。弘法大師の真言宗のイメージが強いが、歴史的に多用な宗教が複合しています。
真言宗以外の寺
天台宗:4(43明石寺・76金倉寺・82根香寺・87長尾寺)
臨済宗:2(11藤井寺・33雪蹊寺)
曹洞宗:1(15国分寺)
時宗:1(78郷照寺)

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15.遍路豆知識

石鎚山(愛媛県西条市) 空海が修行をした石鎚山は標高1982メートルで四国の屋根であり、西日本最高峰です。彼の著した「三教指帰」には「或ときには石峯に跨りて、粮を絶ちて、轗軻(かんか)たり」(石鎚山にまたがり断食修行をして苦しんだ)、と記述されています。天候がよければ、大樹海のかなたに瀬戸内の景色はもちろん、中国地方・九州地方の山々まで遠望でき多くの観光客が訪れます。
7世紀に役行者により開かれたといわれ、山岳信仰(修験道)の修行の場であり、登山道には修行を彷彿とさせる急峻な鎖場が連続します。また石鎚山の北側には三十六王子社の行場が点在し60番から64番の札所も含めた信仰圏が形成されています。
縁起

その寺の起源・歴史やご利益に関する物語。(同音異義語が別にある)

ヘンロ小屋プロジェクト

ヘンロ小屋プロジェクトは遍路文化の継承と普及のために休憩や仮眠のできる小屋を四国全域にボランティアで造る計画です。小屋の設計は地域の特色や空海の思想を取り入れています。

番外札所 八十八ヶ所霊場以外で、遍路ルートに含まれる歴史的に四国遍路に関係する寺院のことを言います。
仏足石

釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたものです。

道場 仏教における"道場"とは身体を鍛える場所だけではなく、精神的な修行の場所としての意味を持ちます。
ただし、四国遍路における四道場論は第二次世界大戦以降の書物にのみ確認できる考え方です(星野2001)。このことは88の寺院をループととらえ、真念(1687)以来のどこからはじめてもよいという概念と一致します。
同行二人 遍路の旅は自分以外に常に弘法大師が連れ添ってくれて、修行を手助けしてくれる、という考え方を言います。
駅路寺 1598年に徳島県内の8寺に指定された、旅人が宿泊することができた寺のこと。反面、旅人を監視する役目も担っていた。6番安楽寺は駅路寺端運寺を併合して現在に至ります。
五鈷杵 大師の肖像画にて右手に持つ法具。金剛杵の1形態で他に独鈷杵や三鈷杵などがあり、仏の中でも明王の持つ武器であり、煩悩をうち払う仏の功徳の象徴です。
ご詠歌 お勤めの最後に謡う和歌。経文読経と同じ効果があるとされています。
護摩 炉の中に供物や護摩木(願いが書かれた薪)を入れ、火とともに願いを天に運び成就を祈る行法。屋外で行うものを柴灯護摩といいます。
山中の寺でさえ護摩灯明が船舶の航行を助けたように海洋信仰とつながります。
般若心経 仏教の経典の1つ。600巻にもおよぶ教典を漢字262文字に凝縮したものといわれ、その成立は西暦2-3世紀といわれています。「悟り」の境地に到達するには「空」になることを説いたもので「空」とは欲望や執着など、すべてのこだわりを捨てることにより得られるものとされています。
遍路ころがし 険しい山道などの巡礼中の難所。四国遍路では12番、20番、21番、27番、27番、60番、66番、81番、82番への登り道を指します。
本尊 崇拝の中心、または対象となる仏のこと。仏像には脇侍(きょうじ:本尊を両側からサポートする仏)がある場合もあります。
標石 巡拝の道筋に立てられた道案内の石。17世紀から現在まで、さまざまな時代に建てられています。17世紀の僧・真念が200基以上、中務茂兵衛(1845-1922)が、約240基、などがよく知られています。
一宮 一宮とはある地域で最も社格の高い神社のこと。ある地域とは701年~1869年の地方行政区分で、68に分かれていました。ちなみに四国の一宮は阿波:大麻比古神社、土佐:土佐神社、伊予:大山祇神社、讃岐:田村神社、でいずれも札所と歴史的に深いかかわりがあります。
結願 八十八ヶ寺すべての札所を参り終えることを言います。
国分寺 聖武天皇(701-756)が741年に国状不安を静めるために各国に"国分尼寺"とともに建立を命じた寺院のこと。各国には"国分寺"と"国分尼寺"が一つずつ、政務を行う施設である、国府のそばに置かれました。四国4県の国分寺は全て札所となっています。
高野山 空海が816年に開いた標高800mの隔絶された山上に金剛峰寺を中心として関係者約3000が居住する一大宗教都市。(世界遺産2004)
「同行二人」の考え方に基づき遍路を巡り終えたら、高野山の奥の院へお参りします。その理由は、高野山が大師入定の地であるため、大師に四国遍路の結願をお伝えすることにあります。なお、遍路を始める前に大師に挨拶をする意味で参ることもあります。
曼荼羅

仏教の世界を図に示した絵画のこと。密教での曼陀羅は、2冊の経典「金剛頂経と大日経をそれぞれ描いた"金剛界曼陀羅"と"胎蔵界曼陀羅"があります。

密教 仏教自体が日本に伝わったのは、朝鮮半島の百済から西暦538年(552年という説もある)と考えられるが、密教は天平年間(729〜749)に伝わり、その後、弘法大師「空海」が体系化し庶民に広まります。
現在では密教が活きた宗教として庶民に信仰され、また僧侶の間で学問的な研究がいまなお続けられているのは、日本とチベット周辺地域(後期密教なので日本の密教とは異なる)のみ。
日本の仏教は伝わった後、独自の発展をとげます。たくさんの分派を繰り返し、仏教の開祖「仏陀」よりも分派の祖師がより信仰を集めています。密教を日本において真言密教として確立した弘法大師「空海」もその1人です。
涅槃像

釈迦の死の眠りを表したもの。二組の沙羅双樹(4本の沙羅の木)、枕は北、右脇を下にして、その周囲には菩薩たちをはじめとして、弟子、国王、大臣、などが悲しんでいる様子で構成されます。

女人禁制 古来より霊山において女性の立ち入りを禁止する風習。修験道に関連するものと考えられ、そうした場所には女性用の礼拝所が設けられたりします。
石鎚山は今も7/1のみ、24番最御崎寺(観音窟)と26番金剛頂寺(不動岩)は1873年に解禁となっています。
奥の院 一般的に奥の院は洞窟・滝・山頂などのように難所である場合が多い。かつて修行者は奥の院で修行をし、札所は修行者やその従者の宿泊など生活場所として機能していたと考えられます。そのため札所は人の集まる場所であり次第に建物が増え、民衆のお参りもまかなうようになりました。その意味で奥の院を理解することは、札所の宗教的意義そして社会的意義をひもとく鍵となります。修行の場所であるため、余分な施設のない簡単な祠であったりします。
お礼参り 結願後、最初の札所まで戻ること。また、大師が入定(死後も修行を続けている境地)している高野山に結願の報告をするために参詣すること。
お接待 地元の人々が食べ物などをプレゼントしてくれること。援助であるだけではなく、仏に対する喜捨でもあるので断ってはいけません。きっと四国の人々の心の優しさに驚かれることでしょう。(四国の人々はお遍路を仏に近い存在と見ています。そのため仏にお供えをする、意味があるのです。お接待は四国遍路を代表するキーワードです。)
筆者の私見 接待には順序がある。他人の幸せを祈ることで他人から接待を受けるのは道理。自分の利益のみを追求する人間に接待を受ける価値があるか?では自分はどうか?その資格があるか、自問自答と葛藤の種にもなりうるほど接待を重く感じる。接待文化を未来に継承したい。
羅漢 インドでは悟りを開いた弟子を讃えて「羅漢」と呼びます。中国では仏教修行者の群れを指す。「羅漢像」(5番.地蔵寺、66番.雲辺寺、75番.善通寺で見ることができる)には無数の表情があり興味深い。主に禅宗で崇拝されています。
賽銭 社寺に詣でる際に奉納する金銭。古くは金銭を紙に包んで賽銭箱に奉納した。更に時代を遡ると金銭ではなく、米などを供えました。
悟り お遍路の最終到達目標。仏教における最も高い境地。"悟り"を取得した者は仏となる。わかりやすくいうと、ものごとの真の意味を理解すること。
関所寺 弘法大師が遍路の普段の行動をチェックする寺のこと。行いが悪いと、それより先に進むことができないとされます。19番,立江寺、27番,神峰寺、60番,横峰寺、66番,雲辺寺の4つあります。
即身成仏 仏教で人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き、仏になること。即身成仏のためには、日常生活の枠から逸する厳しい修行が必要とされます。自我を捨て世のため人のために自分の身を捧げたり、千日・二千日と深山に篭り穀物を絶ち、修行することが必要とされています。その世界は東西南北(菅笠)・善悪・生死、などを超越した世界。
先達 初心者の遍路を案内する、遍路経験者。4回以上結願した人が札所から推薦された場合に霊場会が審議の上資格を与えます。
神仏分離 1868年、日本政府は国粋主義的思想により、それまでの神仏習合(神道と仏教が混ざり合うこと)から神道を優先する分離政策を行いました。これがきっかけとなり、仏教廃止的な廃仏毀釈の風潮が民間に広がり、四国でも各札所を含む、多くの仏教寺院、財産が破壊された。1875年に信教の自由が通達されるまで続きました。
真言
  1. 密教において仏様毎にある梵語の呪文。
  2. 空海が9世紀に創設した仏教の1派。
托鉢

かつて修行僧や本物の遍路は衆生の救済のため、修行のため、あるいは所属するお寺の修築のため、各戸の前に立ち、家人の幸福を願いお経を唱えました。家人はそのお礼に「お布施」と称して米や金銭を托鉢者の鉢にお供えします。「お布施」も逆の意味での修行です。遍路にとって托鉢修行は相当勇気のいる行為です。駅前や繁華街の街頭ではたまに見かけますが札所内での托鉢は禁止されています。

多神教 日本人の多くが信仰する仏教は多神教に属しているので、この世のあらゆる空間においてそれぞれ専門の神仏が存在し、その神仏の像を拝礼する宗教であることをご理解ください。
鰐口

本堂や大師堂の正面軒先に吊り下げられた金属製の鈴。参詣者が下がっている綱で打ち鳴らして、仏に来意を告げます。

わらじ

札所の山門の多くに足の無事を祈って「わらじ」が掛けられています。「わらじ」は山歩きや長距離の歩行に歩きやすく、自分で作ることができ、道路が舗装されていない時代の旅の必需品でした。

凶事や災難に遭うこと。
厄年 "厄"に遭遇する率が高く警戒を要するとされている年齢のこと。男性の場合は、数え年で25歳、42歳、61歳、女性の場合は19歳、33歳、37歳とされています。特に、男性の42歳、女性の33歳は大厄と呼ばれます。数え年とは、生まれた日が1歳という考え方なので、現在年齢に1歳プラスする必要があります。厄年の数の階段に賽銭をそなえてある札所もあります。
厄除け

"厄"からのがれることを本尊に祈る、日本人に根強い風習です。

うるう年 お遍路の巡拝方法には、一般的な時計回りの「順打ち」とその反対に回る「逆打ち」がありますが、特に“うるう年”に逆打ちをすると、よりいっそうのご利益があるとされています。
これは四国遍路の祖とされる衛門三郎が、20回まわったが大師に逢えず21回目は逆に回ったところ、12番焼山寺のふもとでようやく行き逢えたが、その年が、うるう年であったことによります。今でも、なお修行の旅を続けているという、順打ちの弘法大師に必ず行き逢えるのが逆打ちともいえます。
なお、歩き遍路では道標は、全て順打ち用に設置されているので、逆打ちでは頻繁に道迷いに陥ります。より困難な逆打ちは、その分ご利益が大きい巡拝方法です。
五仏 曼陀羅の中央"大日如来"とそれを囲む4つの如来のこと。札所には5色の旗が掲げられている風景が多く、色は「五仏」に由来します。
十三仏 死者をとむらう法要が初七日(不動明王)から三十三回忌(虚空蔵菩薩)まで13回あります。それぞれの法要に本尊とする13の仏様が配されています。
役行者・役小角(634-701) 現在の奈良県に生まれる。呪法を学び山岳修行を行い、修験道の基礎を築いた呪術者です。実在の人物ですが、伝えられる人物像は後の伝説によるところが大きい。通称を役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれ修験道の開祖とされています。四国では、12番.焼山寺、47番.八坂寺、60番.横峰寺、64番.前神寺を開いたといわれています。
Frederick Starr(1895-1933)

シカゴ大学教授(人類学)で15回に渡り訪日した。自作の納め札を日本各地の旅行先に持ち歩き寺社に貼ったので「お札博士」と呼ばれる。1921年に30日間の遍路を経験し、53番円明寺にあった最古の銅製納札を紹介した。富士山に5回登り彼の遺骨が富士山麓に埋葬されています。

行基(668-749) 大阪府出身の僧。関西地方を中心に貧民救済や治水、新田開発や架橋などの社会事業に活動した。745年に政府より日本最初の大僧正の位を贈られました。また、政府より菩薩の称号が送られ、行基菩薩と言われます。四国では札所のうち30ヵ寺の創設にかかわったと言われています。
長宗我部元親(1538-1599) 土佐の国(高知県)を支配する領主であったが勢力を拡大し1585年に四国全土を統一しました。その侵攻の戦火のために土佐の国を除く88カ所札所の大部分が焼失し、その後に再建されるまで各札所にとって苦難の時代でした。
真念宥弁(?-1691) 四国お遍路が今日のように大衆化されたのは、17世紀と言われています。1687年、最初の道案内書「四国遍路道指南」を刊行しました。そのほか真念は四国を回ること20余回、遍路をする人々が道の迷っているのを見て、四国各地に標石200余基を建てました。その後、彼は1690年に四国遍路のご利益をまとめた「四国遍路功徳記」も刊行しました。また、彼の協力者である高野山の学僧寂本に八十八の札所の解説書「四国偏礼霊場記」(1689)を執筆してもらって刊行しました。
長さの単位

日本では1891年にメートル法を導入するまでは中国を起源とする尺貫法を使用していました。そのため古い標石には町=109m, 里=3927mと表記されています。ただし、実情は地方や時代によりばらつきもあり、あいまいです。

遍路関連情報の充実した博物館 愛媛県立歴史博物館(愛媛県西予市)
香川県立ミュージアム(高松市)

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16.仏像の説明

四国八十八ヶ所に多くみられる仏像の紹介です
仏教は多神教であり日本の地域宗教である神道との神仏習合のため、人々の限りない願いに応じて、姿やご利益の異なる様々な神仏が生み出されてきました。四国八十八ヶ所に多い主なご本尊は、以下に紹介する通り。各ご本尊の存在意義やご利益を理解することにより、参拝はより意味のあるものになるでしょう。

如来

悟りを開いた者で、仏教の世界においては仏陀とも呼ばれ、釈迦のことを指します。最も高い位置にいる諸像。原則として持ち物を持たず、装身具も身につけていません。

釈迦如来 仏教の開祖、ゴータマ・シッタルーダを敬う呼び方。釈迦は苦行の末に、さとりを開いて如来となった実在の人物です。その大いなる力で全ての人を救います。
阿弥陀如来 この仏の寿命は限りなく、その光はあらゆる国々、人々を照らし、時間と空間の制約を受けない超人です。阿弥陀如来を信じるものは極楽浄土に往生できるとされています。
薬師如来 他の如来が死後の安楽をかなえてくれる、のに対し、病に苦しむ人々を救ってくれるという現実的な願いを叶えてくれるため、親しみのある仏様です。左手に薬壺を持っているのが特徴です。
大日如来 着飾ったその姿は大日如来がまだ若い頃の釈迦をモデルとしています。また、宇宙そのものを装身具として身にまとっている、ともいわれる。密教の世界でもっとも偉大な如来です。

菩薩

如来に付き添って修行をしながら、人々を救う努力をするといわれます。冠、首飾り、イヤリングなどで着飾り、手には人々の願いをかなえるために持ち物を持っています。

十一面観音菩薩 本体の顔以外に頭上に人間の喜怒哀楽を表現した11の顔を持つ菩薩です。深い慈悲により人々を全ての苦しみから救う仏であるとされ、女神のような容姿に造られたものが多いようです。
千手観音菩薩 千本の手のそれぞれの掌に一眼をもっています。千の目で人々の悩みや苦しみをしっかりと見つけ、千の手で間違いなく振り払い救済しようとします。
地蔵菩薩 大地が全ての命を育む力を蔵するように、人々を救います。一般的には、「子供の守り神」として信じられています。釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、衆生を救うとされています。
聖観音菩薩 普通の人間の姿をした観音を総称して「聖観音」と言います。頭上、頭髪部の正面に阿弥陀如来の小像を置き、装身具を身につけ、左手には蓮華を持っています。
虚空蔵菩薩 虚空蔵菩薩とは、広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味であります。学業や記憶力にご利益がある、とされ、左手には宝珠を持っています。
馬頭観音菩薩 図上に馬の頭を持ちます。人々の無智・煩悩を排除し、諸悪を滅ぼす。他の観音像が女性的で穏やかな表情で表わされるのに対し、馬頭観音のみは目尻を吊り上げ、怒髪天を衝き、牙を剥き出した怒りの表情です。
文殊菩薩 ものごとを正しく判断する智恵を与えてくれる勉学の仏様です。獅子の背の蓮華座にすわり、右手に智恵を象徴する宝剣、左手に蓮華と経巻を持っているのが特徴です。
弥勒菩薩 釈迦が入滅した56億7千万年後の未来に姿をあらわし、人々を救う、とされている未来の仏です。姿を現した後は、如来になることが決まっています。

明王

密教によって成立した神で大日如来の使者です。右手に宝剣、左手にけん索などの武器を握り、目を見開いて、にらみつけています。その威力で悪を懲らしめます。

不動明王 唐から帰国した空海が日本に伝えた密教特有の仏様です。大日如来の化身であり、恐ろしい形相と火炎で煩悩を破壊してくれる。民衆の身代わりとなって守ってくれます。

天部

如来、菩薩、明王を仏敵から護る守護神で、バラモン教の神様を起源とするものが多いようです。

四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天) 4像を総称して四天王と呼ばれます。東西南北の四方から仏教世界を守護する役目をもっています。
金剛力士 お寺の山門の左右に立つ2人組の仏様。怒りの表情でお寺に仏敵が入るのを防いでいます。口を開いている向かって右が阿形、閉じている向かって左が吽形。通称「お仁王さま」と呼ばれています。

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17.アクセス

主要箇所から四国

航空機の場合 徳島空港←→東京・福岡
高知空港←→東京・名古屋・大阪・福岡
松山空港←→東京・成田・中部・大阪・関西・福岡・鹿児島・那覇・ソウル・上海
高松空港←→東京・成田・那覇・ソウル・上海・台北
鉄道の場合 日本国内主要箇所←→岡山←→徳島・高知・松山・高松
バスの場合

バス発着場は、全て鉄道駅に隣接しています。

徳島・阿南・鴨島←→東京・大阪(徳バス)
徳島←→名古屋・京都・KIX・神戸・岡山・広島(徳バス)
室戸・徳島県南部←→大阪・神戸(徳バス)
奈半利・野市・土佐山田←→京都・大阪・神戸(近鉄バス)
高知←→東京・名古屋・京都・神戸・岡山・広島・福岡(とさでんバス)
高知・安芸←→大阪(とさでんバス)
須崎・高知←→京都・大阪・神戸(IRバス)
宿毛・中村・窪川・須崎←→京都・大阪・神戸(近鉄バス)
城辺・宇和島・卯之町・大洲←→大阪・神戸(宇和島自動車)
大洲・内子・松山←→東京・名古屋・大阪(伊予鉄バス)
松山←→京都・神戸・岡山・福山・福岡(伊予鉄バス)
今治・西条・新居浜・四国中央←→東京・大阪・神戸(せとうちバス)
阿波池田・土成・板野←→大阪・神戸(阪急バス)
丸亀・坂出・高松・志度←→東京・横浜・名古屋(四国高速バス)
観音寺・丸亀・善通寺←→大阪・神戸(四国高速バス)
高松←→京都・大阪・KIX・神戸(四国高速バス)
高松←→大阪・神戸(フットバス)
高松←→広島(JR四国バス)
注)太字は南海難波駅に停車

主要箇所から高野山

航空機の場合 関西空港←→東京・成田
関西空港←→高野山(南海電車)
鉄道の場合 各地←→大阪難波←(南海電車)→高野山

四国と高野山

南海電鉄 高野山へ行くには、大阪の南海電鉄難波駅が起点となります。
難波駅から高野山駅へは特急で約1時間30分(¥1990)(高野山行きの往復割引キップあり)
四国各地から難波駅へのアクセスは
高速バスの場合
  1. 徳島市からは(徳バス)、高松市からは(フットバス)が難波駅5F(難波駅高速バスターミナル)まで直通バスがあります。なお、フットバスは1番霊山寺から徒歩25分の鳴門西PAバス停に停車します。
    (高野山でのバスの運賃、また拝観施設の割引券がセットになっている高野山行きの往復割引キップあり)
  2. 徳島市、高知市、松山市、高松市からは難波駅の東方徒歩5分の湊町バスターミナル(O-CAT)を経由、大阪駅行きのバスがあります。
鉄道の場合 岡山駅から新幹線で新大阪駅着。新大阪駅から大阪駅経由、新今宮駅で南海電鉄に乗り換えるか、新大阪駅で地下鉄に乗り換え、難波駅へ行きます。
航空機の場合 松山空港からは関西国際空港行きのLCC便がある。関西国際空港にて南海電鉄関西空港駅から天下茶屋駅まで特急で約35分(¥1390)
フェリーの場合 徳島港から和歌山港へ南海フェリーで約2時間(¥2,000)南海電鉄和歌山港駅から天下茶屋駅まで特急で約1時間(¥1350)。
徳島港から高野山駅まで2000円の人気企画キップがあります。
もしくは、和歌山市駅から橋本駅まで約1時間30分(¥820)、橋本駅で南海電鉄に乗り換え約1時間で高野山駅ですがこちらは接続がよくありません。
高野山での案内 高野山宿坊協会 Tel: 0736-56-2616

石鎚山

石鎚山へのルートは松山市から久万でバスを乗り継いで土小屋に至るルートと西条駅からバスとロープウェイを使うルートがあります。前者は4/1-11/30の土日祝限定、後者は通年運行。標高2000m近い高山なので天候や装備に充分な配慮をする必要があります。

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18.沿道に伝わる遍路関連の伝説・言い伝え

四国は弘法大師一尊化が日本の他の地域よりも顕著であるため大師にまつわる話を拾えばきりがありません。なんでもかんでも大師に結びつける傾向があります。別人の話が時代を経て大師が主人公になったりする例もあるようです。

10番 切幡観音(徳島県阿波市)

空海がこの地を通った時、傷んでいた衣の繕い布を求めると、機織の娘は惜しげもなく新しい布を差し出してくれた。空海は娘の「仏に仕える身となり人々を救いたい」との願いを聞き入れ出家させると娘は、たちまち千手観音の姿に変わってしまった(即身成仏)。と言われています。

柳水庵(徳島県神山町)

ある夏のこと、一人の遍路がこの地で疲れと喉の渇きで倒れたしまった。そこへ一人の僧が通りかかり、柳の枝で加持(仏の加護を衆生に与える)したところ、その場所から清水が湧き出した。その水で遍路は助かった。そしてその柳の枝をさしたのが根づいて、湧き水とともに遍路の休息の場となった。
と言われています。

左右内(そうち)の一本杉(徳島県神山町)

空海がこの地を巡錫されたとき、ここで木の根を枕に仮眠された。夢の中に阿弥陀如来が現れたので、尊像を刻み安置されました。そのときお手植えになったと伝えられる杉は霊気あふれる天然記念物の大木となりました。
阿弥陀如来を祀るこの浄蓮庵(別名:一本杉庵)は「へんろころがし」で有名な山中をあえぎながら坂道を登ると突如眼前に神々しいお大師様の像が現れる感動の場所です。

杖杉庵(じょうしんあん)(徳島県神山町)

衛門三郎伝説(後述)ゆかりの地。三郎が21度目の逆打ちで、いよいよ立ち上がる気力もなくなりうち倒れていたところお大師様が現れ「いつぞやの長者にあらずや?」と声を掛けました。三郎は「ああ上人様、お許しなされませ」と懺悔するその姿は罪深い闇の世界から光明の世界へ還るものでした。心眼成就の安堵によるものか、三郎はあえなくこの地で亡くなりました。大師は三郎の金剛杖を墓標とし葬った杖が生を宿し大杉となりましたが享保年間に焼失し、現在の杉はそこから芽吹いた二代目とされています。

18番 恩山寺(徳島県小松島市)

お母さん思いの空海
もともとこの寺は女人禁制の道場であった。空海が修行をしている時に、母の玉依御前がはるばる善通寺から訪ねて来た。そこで空海は女人解禁のために滝にうたれて17日間の秘法を修し、女人開禁を成就し、母を迎え入れることができた。その後、母はここで髪を剃り出家した、と言われています。

19番 立江寺(徳島県小松島市)

仏様は悪行をお見通し
島根県のお京という女が夫を殺し、浮気相手とともに四国へ逃れて来た。反省の意味もあり本尊を拝んだところ、お京の黒髪は鐘の緒に巻きあげられてしまった。お京が懺悔すると黒髪が肉とともにはがれ、辛うじて命は助かった。立江寺は四国霊場の関所の一つで、悪人は先に進めない、と言われています。

白鷺橋(徳島県小松島市立江寺門前)

行基が聖武天皇の勅命を受けて、光明皇后の御安産の御念持仏として御本尊延命地蔵を作り伽藍を建立することとなり、適地を探していたところ、一羽の白鷺が舞いおりて立江川に架けられた橋の上にとまった。
白鷺の舞いおりた橋を白鷺橋とも九ツ橋ともいう。九ツ橋という名の起りは、九界の地位を表わす標であって積悪邪見のものはこの橋の上に立つと自然に目がくらみ足はすくんで一歩も歩くことが出来ず、その時には必ず白鷺が一羽舞いおりて橋の上に立っていたと言われています。橋の上に白鷺の姿を見ることなく橋を渡ったものは、善男善女であるとされています。

風の道に霜降らずの伝説(徳島県勝浦町)

大師がお通夜の岩にて通夜をしたが、大雪と寒さに耐えられず、村人に一夜の宿を頼んだところ、村人は大事な織機を壊してその薪で暖をとった。大師は村人から「飲み水と霜で困っている」と聞き、親切のお礼に杖で清水を掘り、念仏を唱えて霜を封じた。
生名と坂本の位置関係から、広々とした盆地の生名では空気があたたまりやすく、これに対して坂本は生名に比較して高い位置にあるため谷川の水も冷たく空気が冷えて、地形的には狭隘な谷となる。この関係から生名から坂本に向けて上昇気流が吹くため坂本は霜が発生しにくい。「霜降り伝説」は、この風土にぴったりとマッチしています。

舎心ヶ嶽(徳島県阿南市)

空海が24歳の時に著作「三教指帰」に「阿国大瀧獄にのぼりよじ土州室戸岬に勤念す、谷響きを惜しまず明星来影す。」と記されており、この地において彼が19歳の時、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の真言を100万遍唱えると超人的な記憶力がつくという「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」の修行をしたと伝えられています。

別格4番 鯖大師(徳島県海陽町)

修行中の行基(後に空海に変わる)が坂道で休んでいると、塩鯖を運ぶ馬子と息の上がる馬が通りかかる。行基は馬を気遣ったが馬子は取り合わない。行基は馬子を改心させるべく、弱った馬を元気にし、塩鯖を生きかえらせることで、馬子に人間の欲は限りないことを教えました。仏教に目覚めた馬子はこの地で鯖大師の起源となる行基庵を結びました。この寺で祈願して鯖を3年断つと願いがかなうと言われています。

母川(徳島県海陽町)

ある年、日照りが続き飲み水に困るようになり、ある母親が幼子に水を飲ませるために山中深く分け入って見つけた清水を持ち帰る途中で遍路の僧に会った。僧は大切そうなその水を所望したところ母親は「我が子のためではあるが遍路だから」と僧に与えた。感激した僧は彼の五鈷杵で地面を加持すれば、たちまち川となった。それからこの川を母川と呼び、水は枯れることなくいつも清らかに澄んでいます。

ごろごろ石(高知県東洋町)

舗装道路のない時代、この区間は波に濡れながら狭く滑りやすい岩を飛んだり跳ねたりしながら細心の注意を払って歩いた難所であったため、この言葉がこの地方に伝わります。

御蔵洞(高知県室戸市)

大師が奈良の大学を中退した後、修行したと伝えられる「御蔵洞」。大師が19才の時、修行をしていたところ「空に輝く明星が口に飛び込んできた」という神秘体験をしたと、その著書に記述されている洞窟です。

室戸七不思議(高知県室戸市・最御岬寺)

一夜建立の岩屋(大師が一夜で建立した奥の院)・不喰芋(後に記述)・捻れ岩(大師が母を避難させるために法力で曲げた岩)・鐘石(金属音のひびく石)・明星石(大師の法力で石が輝き毒龍が逃げた)・目洗いの井戸(大師が加持し眼病に効く水)・行水の池(空海が修行中に行水した池)

25番 津照寺(高知県室戸市)

水難から国主を救ったご本尊
慶長7年(1602年)、土佐藩主山内一豊が航海中に室戸の沖で遭難しかけたとき、どこからともなく僧が現れて船を操ってくれ、無事港へ着くことができた。僧の後を追うと、津照寺へ消えた。本尊の地蔵菩薩を拝したら全身びしょ濡れで、先ほどの僧であったことがわかった。漁師たちの守り神として海上の安全に霊験あらたかと言われています。

37番 岩本寺七不思議(高知県四万十町)

子安桜(大師が桜の木の下で安産の祈祷をした)・三度栗(後に記述)・口なし蛭(大師の加持で口の無くなった蛭)・桜貝(浜の貝殻が桜の花びらに変わった)・筆草(大師が筆を浜に埋めると筆に似た草が生えた)・尻なし貝(大師の加持で尖った貝が丸くなった)・戸立てずの庄屋(大師の法力で泥棒の入らなくなった家)

38番 金剛福寺(高知県土佐清水市)

足摺岬は“補陀洛”(観音様の住む山のことで、極楽浄土として崇拝されている理想の世界)に最も近いとされている。“補陀洛渡海”とは小船に乗り補陀洛の地を目指し、はるか絶海の彼方へ漕ぎ出す、希望と絶望の船旅のこと。

足摺七不思議(高知県土佐清水市・金剛福寺)

地獄の穴(本堂の下まで通じている穴)・弘法大師爪掘の石(大師が爪で岩に文字を彫った)・亀呼場(大師が沖の岩礁に渡るため亀を呼んだ場所)・一夜建立ならずの鳥居(大師が一夜で建立できなかった鳥居のなごり)・潮の満干手水鉢(潮の干満に連動して上下する岩の水)・亀石(亀呼場の方向を向いている石)・ゆるぎ石(石の動き方で心の善悪がわかる)・ほか。

42番 仏木寺(愛媛県西予市)

動物にフレンドリーなお寺
空海が老人の勧めで牛の背に乗ってしばらく行くと楠の木に宝珠が引っかかって光を放っていた。それはかつて空海が唐から有縁の地が選ばれるようにと東方に向かって投げたものだった。その縁で境内の家畜堂には牛馬供養に参る人が多かった。ペット供養に訪れる人も多いです。

43番 明石寺(愛媛県西予市)

石を上げたので「あげいしさん」
昔、若く美しい乙女に化身した千手観音菩薩が深夜に大きな石を運んでいるうちにいつの間にか夜が明けてしまった。日が昇るのを見て驚いた化身は姿を消してしまったという。その石を白王権現と崇め、祠を奉った今も地元の人々は「あげいしさん」と呼び親しんでいます。

別格8番 十夜ヶ橋(愛媛県大洲市)

弘法大師が大寒の日にこの橋の下で野宿をしたところ、寒さと空腹などのために寝付けず、一夜とはいえ夜明けまでが十夜の長さに感じられたということから十夜ヶ橋と名付けられた。橋を通る時は橋の下の弘法大師に遠慮して杖をつかない風習の起源となっています。

網掛石(愛媛県松山市)

農作業の邪魔になる二個の岩を村人総出で動かそうとしていた。大きな石でびくともせず、どうしたものかと途方に暮れ困り果てていた。丁度そこへ通りかかたのが、四国の各地を修行していた弘法大師。弘法大師は難渋している村人を救おうと、2つの大きな石に網を被せて天秤棒で担いで運ぶ途中、棒が折れてしまいます。1つは付近の大久保へ飛んでいき、もう一つは今の場所に残ったといわれています。石には網目模様があり、網を被せた=網かけ石と呼ばれています。

衛門三郎伝説(四国遍路のはじまり)(愛媛県松山市)

西暦824年のこと。衛門三郎は伊予荏原の庄の強欲非道な豪族でした。ある日、三郎の家の前にみすぼらしい旅僧(空海)が托鉢に来たが彼は竹箒で打ち、追い払ってしまう。打たれた旅僧の鉄鉢は8つに割れ飛び散ってしまった。
その翌日から三郎の8人の子が次々と亡くなってしまい、さすがの三郎も悲嘆に暮れていました。ある晩、三郎の夢枕に空海が現れ「汝の罪悪で子どもが亡くなったのであり、四国寺院を巡拝することで懺悔がかなう」と告げます。竹箒で打った旅僧が空海と悟り、悔やんだ三郎は空海に会って懺悔の念を伝えるべく、後を追うように四国を巡りますがなかなか出会えません。21周目はそれまでとは逆に巡ることを思い立ちましたが12番焼山寺の麓でとうとう力尽き行き倒れてしまった。そこに現れた空海は三郎に何か望みがないか聞いたところ、「来世では伊予国の河野家に生まれ変わりたい」と託して息を引き取りました。空海は三郎の手に「衛門三郎再来」と書いた石を握らせ再来を祈願した。後に河野家で男子が生まれたが手を開こうとしません。ようやく開いたその手から「衛門三郎再来」と書いた石が出てきました。男子は衛門三郎の生まれ変わりだったのです。その石は石手寺に納められた。これが四国遍路の始まり、と言われています。

片目鮒の井戸(愛媛県松山市)

農家の昼飯に近くの井戸にいる鮒を焼き始めた。そこへ托鉢姿で修行中の弘法大師が通りかかり、「哀れなことじゃ。鮒を譲ってください。」と頼んだ。お百姓は、「片目はもう焼かれているから助けることはない」と返答したが、弘法大師は、片側の焼けた鮒を譲り受け、井戸に投げ込み、念仏を唱えると生き返ったという。以来、この井戸には片目の鮒が、水路でつながっていた紫井戸とともに行き来していたと伝えられています。

犬塚池(愛媛県今治市)

むかし、栄福寺と隣の四国五十八番札所仙遊寺では、1匹の犬を飼っていました。
当時、ひとりのお坊さんが両方の、お寺の住職をしていましたので、留守を任された栄福寺、仙遊寺の小僧さん達は、住職に用事が出来ますと、お寺の鐘を鳴らして犬を呼び、住職さんへのお使いを頼んでいました。
しかしある日、偶然なのか小僧さん達のイタズラなのか、まったく同時にお寺の鐘が鳴りました。
どっちに行こうか、決める事の出来なかった犬は、目の前の池に身を投じ命を失ってしまいました。
それ以来、この池は犬塚池と呼ばれています。

満濃池(香川県まんのう町)

香川県は昔から雨が少なく、民衆は水不足に悩まされていました。現在のまんのう町にある満濃池の修築に空海は中国で学んだ工法を使い、彼を慕って集まった人々の働きで3ヶ月で難工事が完成しました。

68番 神恵院(香川県観音寺市)

「ことひき」(地名)の由来となった伝説
大宝3年(703年)に修行中の法相宗の高僧・日証上人が海に琴を弾く翁が乗った小船を見つける。彼の耳に宇佐八幡大菩薩のお告げが聞こえ、翁を大菩薩の化身と感じ、神舟と琴を引き上げて琴弾山に祀り、琴弾八幡宮とした。明治の神仏分離令で琴弾神社と神恵院に分離されました。

崇徳上皇(香川県坂出市)

上皇とは天皇を退任した官位。崇徳上皇(1119-1164)の時代は794年からの平安時代が続き安定した社会体制のなか、皇族は覇権の獲得に終始していた。彼はそのような状況の中で1123年に名ばかりの75代天皇となり、1142年に当時の上皇から退位させられた。退任後も複数の有力者による政争は続き、ついに1156年に内乱となる。内乱に破れた崇徳上皇は香川県の坂出に流罪となった。坂出では幽閉生活を送り、1164年の崩御は暗殺とされている。その季節は夏であり、死後の処置を都(京都)に問い合わせている間、死体の腐敗を防ぐため「八十場の水」に浸したという。その後、81番白峰寺付近で荼毘に付されその場に埋葬された。79番はそのため天皇寺の名であり、その隣の白峯宮は彼を祀る。後世において、彼の不遇の生涯から怨霊として物語や絵画に登場することが多いようです。

八十場の清水(香川県坂出市)

景行天皇の御世、南海の怪魚を退治しに日本武尊の息子と家来80人が戦ったが怪魚に飲み込まれた。彼らは怪魚の腹の中で火をたき切り裂き脱出し、怪魚は息絶えた。脱出するも怪魚の毒気によって仮死状態の兵士に童子の持ってきた八十場の水を飲ませたところ皆蘇生した。その後、日本武尊の息子は讃留霊王として一帯を治めるようになりました。

80番 国分寺の鐘(香川県高松市)

昔、高松の殿様が国分寺の鐘を気に入り、持って帰ったが災いが絶えず、そのうちに「こくぶへいぬ」と鐘が鳴き出したため返すことになった。すると高松へ運ぶときに50人もの男が何日もかかったのに。帰るときにはたった8人で1日のうちに運ぶことが出来たという。そして以前にも増してよく響くようになり、人の心を和ませる鐘となって今もその音を聞かせてくれます。

毘沙門窟の捨身(香川県高松市)

備後の国の大師を信仰する僧雲識が18才の夢枕に「遍路に出て、讃岐の白峰寺児が岳に臨め」とお告げがあった。彼は1681年の夏に丸亀から遍路を始め児が岳に至り捨身を試みたが崖の岩に引っかかり、再度試みるも、どこからともなく現れた僧が彼を助けたと言われています。

五色台青峰山の牛鬼伝説

怪獣牛鬼が村里に出ては悪行をなしていたが、藩主の命により弓の名人・山田蔵人高清が退治した。退治された牛鬼のたたりを恐れ2本の角を切り取り、米15俵を添えて根香寺に納め、菩提を弔ったという話です。

海女の玉取り伝説(香川県さぬき市・志度寺)

わが子を想い命を賭けた母
藤原不比等が奈良の興福寺を建立する際、唐に嫁いだ妹から3つの宝物が送られてきた。しかし、志度の浦で難破し、そのうちの宝珠が竜神に奪われ、不比等はこれを取り戻すため志度へ。土地の海女を妻とし、一子房前をもうけた。海女は息子を藤原家の世継ぎにするとの約束を取り付け、自らの命を捨てて宝珠を取り返した、という悲しい伝説が「志度寺縁起絵図」に描かれている。亡き母の菩提のため藤原房前が志度寺に1000の石塔を建てたなごりの「海女の墓」があります。

水主三山(香川県東かがわ市)

和歌山県の熊野三山に習い水主神社を中心に構成される。与田寺の増吽(ぞううん1366-1449)が熊野から分霊したといわれる。水主神社は8世紀後半の起源とされ空海の掘った閼伽井がある。その北東の風呂地区には参拝者の体を清める岩風呂がありました。

不喰芋(くわずのいも)・不喰貝(くわずのかい)・不喰梨(くわずのなし)・不喰栗(くわずのくり)

この種の言い伝えはほぼ共通。芋や貝や梨や栗を遍路中の空海が地元民に所望したが渋る地元民は「品質が悪く食べられない」と返答する。そこで空海が念仏を唱えたところ硬くなったりして本当に食べられなくなった、というもの。桃の木が枯れた話もある。
これらは概して迷信である。既に1683年の書物にも掲載されているが恐らく高野聖あたりが誤った大師信仰を広めたと推察する。第一、聖者・修行者たる空海が生物を所望するとは考えにくい。また施す立場の空海が地元民に施しを求めることも考えにくい。この種の伝説は迷信と考えてよいようです。(寂本も「四国遍路巧徳記1703」に同様の記述あり)

三度栗・四度栗・七度栗

子どもが栗をほしがったので大師が加持すると年に何度も実を結ぶようになりました。

三度栗

須崎市観音寺・岩本寺・伊豆田坂・四国中央市土居町上野の西福寺・四国中央市土居町木の川 四度or七度栗
窓峠大師堂多福院

病気が治った話

  • 紀州高野山の善三郎の吃音が遍路に出て直った
  • 紀州伊都郡の同行八人が焼山寺麓の信心深い勘七宅に逗留した。勘七は八人に妻の病平癒祈願を依頼し、焼山寺に願を掛けるとたちまち平癒した。
  • 安喜郡野根浦の信心深い天地屋七右衛門の娘の首の腫れ物が娘15の時、父母と3人の遍路旅で平癒した。
  • 海部郡日和佐浦の信心深い又十郎の娘が精神錯乱となり、夫婦で娘を連れ遍路に出たところ30日程度で平静に戻った。
  • 和泉のハンセン病患者が遍路旅で平癒した。
  • 高松の十死に一生の若い女人が願を掛け平癒した。そこで代参かなわず不浄の身でありながら自分で成就した。
  • 同じく志度の生まれながら腹の大きい老女が善通寺で願を掛け平癒したお礼に遍路を成就した。
  • 宇和島下村の病弱な庄兵衛が善根宿を提供していたが病気が平癒した。

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参考文献

  • 四国遍路だより 安達忠一 1934
  • 娘巡礼記 高群逸枝 1979
  • 新版仏教考古学講座大全(第1巻) 1984
  • 密教 松長有景 1991
  • 空海の風景 司馬遼太郎 1994
  • 四国遍路の民衆史 山本和加子 1995
  • 仏教の知識百科 1996
  • 四国遍路の寺 五来 重 1996
  • 四国遍路記集 伊予史談会 1997
  • 密教の思想 立川武蔵 1998
  • 宗教史地図 仏教 古坂紘一 1999
  • 宗教のしくみ辞典 大島宏之 1999
  • 仏教早わかり百科 ひろさちや 1999
  • 真言宗のお経 2000
  • 日本密教 立川武蔵・頼富本宏 2000
  • 遍路の大先達 中司茂兵衛義教 喜代吉栄徳 2000
  • 四国遍路の宗教学的研究 星野秀紀 2001
  • 四国遍路 辰濃和男 2001
  • 論文’外国人の目から見た四国遍路 月刊みんぱく David C. Moreton 2004
  • 密教 頼富本宏 2005
  • 四国八十八ヶ所はじめてのお遍路 NHK 2006
  • るるぶ 四国八十八カ所 JTB 2006
  • 四国八十八ヶ所 はじめての お遍路 NHK 2006
  • 遍路と巡礼の民俗 佐藤久光 2006
  • 四国遍路とはなにか 頼富本宏 2009
  • 四国遍路ひとり歩き同行二人 宮崎建樹 2010
  • 四国遍路を考える 真鍋俊照 2010
  • 四國徧禮道指南 全訳注 真念・稲田道彦 2015
  • Shikoku Japan 88 Route Guide 松下直行2015
  • Webサイト 四国八十八ヶ所巡り
  • データベース「えひめの記憶」
  • 独行庵LAND

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